工工四
歌詞
瓦屋頂登て 真南向かて見れば
島の浦ど見ゆる 里や見らぬ
訳
瓦屋の上に登って南の方を見ると、
海辺は見えるけど愛しい人の姿は見えない。
瓦屋
- 瓦を焼く窯場
島の浦
- 入り江
- 湾
- 海辺
里
- 女性が思いを寄せる男性に対して使う言葉。男性が女性を呼ぶときは「無蔵」と呼ぶ。
解説
遠くを見晴らす瓦屋の頂に立ち、忍びやかに愛しい人を想う女性の胸中を詠み込んだ歌曲です。
「瓦屋節」は最古の琉歌集である「琉歌百控」(※1)に「美里同村 首里南風之平等 瓦屋とも云 鳥小堀村」と出自が記されています。
美里同村(現・沖縄市知花)と鳥小堀村(現・那覇市首里鳥堀町)は焼き物の生産地として知られ、当時の形跡をわずかに残す古窯跡は沖縄県の埋蔵文化財に指定されています。
首里南風之平等(※2)は、鳥小堀村(現・那覇市首里鳥堀町)を含む地域一帯を指しており、1671年頃に首里城の瓦を焼いていた窯場があったそうです。参考:「首里古地図」/沖縄県立図書館(東恩納寛惇文庫蔵)
また、1682年、瓦の需要急増に備えて美里の知花、首里の宝口、真和志の湧田の窯を琉球王府の命により統合し、真和志の壺屋(現・那覇市壺屋)に窯場を移設した歴史的背景があります。参考:「球陽」
壺屋が選ばれた理由の一つは、地形が窯場に適した小高い山(傾斜地)であるからと云われています。
「琉歌百控」(※1)
上編「乾柔節流」、中編「独節流」、下編「覧節流」の三部(全601首)からなり、1795年~1802年にかけて編纂された最も古い琉歌集です。
首里南風之平等(※2)
首里の中心に位置する行政区分。
鳥小堀村(現・首里鳥堀町)、赤田村(現・首里赤田町)、大中村(現・首里大中町)、桃原村(現・首里桃原町)、当蔵村(現・首里当蔵町)崎山村(現・首里崎山町)を指しています。
南窯
那覇市壺屋にある最古の荒焼釜(沖縄県文化財指定)。
傾斜地に作られることから登り窯と呼ばれ、下方からの余熱を利用しながら焼き物を焼成します。
補足
「瓦屋節」の創作背景や舞台となった場所は他にも様々な諸説があります。
1770年頃の古地図には現在の那覇市泉崎に「瓦屋」の地名が存在し、真和志民俗地図には現在の那覇市国場に「瓦屋原」の地名が確認できます。
また、「瓦屋節」を主題とした悲恋物語が後世に伝えられ、劇や映画にまで演ぜられるようになりました。
悲恋の物語
大陸から来た陶工が沖縄に帰化して瓦製造の業を始め、小禄間切当間村の女を妻にした。
伝説によればこの女には夫がいたのに無理に引き離されて陶工の妻にさせられたので、女は時々瓦屋の丘の上に登って故郷の夫を恋い慕いこの歌をよんだという。
参考:『標音・評釈琉歌全集/武蔵野書院版』
※物語として創作したもので、実際にあった史実とは限りません。
ちらし
「瓦屋節」は昔節(※3)である「暁節」のちらし(※4)として演奏されます。
「暁節」- 古典音楽
工工四 印刷・保存 【工工四について】 歌詞 暁やなゆりあかつぃちやなゆゐ いきやおさうずめしやいがいちゃうそぅずぃみしぇが 別るさめとめばわかるさみとぅみば 袖の涙すでぃ ...
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昔節(※3)
ちらし(※4)
つないで演奏する終結部の楽曲。
楽曲の熱を徐々に散らしながらおさまりをもたせる構成をとります。
御供ともいいます。
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは「瓦屋節」が舞踊曲として演奏される「瓦屋節(なからた)」について解説しています。
「瓦屋節(なからた)」 - 古典舞踊/女踊り
なからた節:歌詞 できやよおしつれてでぃちゃようしつぃりてぃ 眺めやり遊ばながみやいあすぃば 今日や名に立ちゆるきゆやなにたちゅる 十五夜だいものじゅぐやでむぬ 訳 さあ、 ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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