舞踊

「上り口節」 - 古典舞踊/二才踊り

2020年3月12日

上り口説ぬぶいくどぅち:歌詞

1.

旅の出で立ちたびぬんぢたち 観音堂くゎんぬんどう 千手観音しんてぃくゎんぬん 伏せ拝でふしをぅがでぃ 黄金酌取てくがにしゃくとぅてぃ 立ち別るたちわかる

2.

袖に降る露すでぃにふるつぃゆ 押し払ひうしはらい 大道松原うふどうまつぃばら 歩み行くあゆみゆく 行けば八幡ゆきばはちまん 崇元寺すーぎーじ

3.

美栄地高橋みーじたかはし 打渡てうちわたてぃ 袖を連ねてすでぃゆつぃらにてぃ 諸人のむるふぃとぅぬ 行くも帰るもゆくむかえるむ 中の橋なかぬはし

4.

沖の側までうちぬすばまでぃ 親子兄弟うやくちょでー 連れて別ゆるつぃりてぃわかゆる 旅衣たびぐるむ 袖と袖とにすでぃとぅすでぃとぅに 露涙つぃゆなみだ

5.

船の艫綱ふにぬとぅむづぃな 疾く解くととぅくどぅくとぅ 舟子勇みてふなくいさみてぃ 真帆引けばまふふぃきば 風や真艫にかじやまとぅむに 午未うんまふぃつぃじ

6.

又も廻り逢ふまたんみぐりあう ご縁とてぐいんとぅてぃ 招く扇やまにくおーじや 三重城みーぐしく 残波岬もざんぱみさちん 後に見てあとぅにみてぃ

7.

伊平屋渡り立つ波いひゃどたつなみ 押し添へてうしすいてぃ 道の島々みちぬしまじま 見渡せばみわたしば 七島渡中もしちとうとぅなかん 灘安くなだやすぃく

8.

燃ゆるむゆる立ちゆるたちゅる} 煙やちむりや 硫黄が島いをぅがしま 佐多の岬にさだぬみさちん 走り並ではいならでぃ ”エイえい” あれに見ゆるはありにみゆるは 御開聞うかいむん 富士に見まがふふじにみまごう 桜島さくらじま

 

1.

旅に出るときは、観音堂の千手観音をおがみ、大切な宴席でお酒をわしてお別れをつげる

2.

袖に降る露を払い大道松原を歩んでいくと、やがて八幡(安里八幡宮あさとはちまんぐう)を過ぎ崇元寺にいた

3.

美栄地高橋(美栄橋みえばし)を渡る。ここは大勢の人々が多く行き来する長堤ちょうていの真ん中に位置した橋である(別訳:美栄地高橋を渡り、沢山の人々が行き来する道を通り過ぎて中の橋へ着いた)

4.

沖(沖の寺)の側まで親子兄弟に見送られて別れたあと、旅衣の袖々を涙でぬらす

5.

船の艫綱ともづなを素早く解き、船子(水夫すいふ)が勇ましく帆を正面に引けば、風は船尾せんびから南南西へ順風に吹いてゆく

6.

また巡り会うご縁と願い、招く扇に三重城、そして残波岬も後に見て

7.

伊平屋島の荒波が船を押し添えるようにして進み、道中の島々を見渡すと難所の七島(トカラ列島の島々)も無事に渡っていける

8.

立ち上る煙は硫黄が島(硫黄島)で、いよいよ佐多岬に近づき向こうに見えるのは御開聞(開聞岳)、そして富士に見間違うほどよく似た桜島にいた

 

口説くどぅち

18世紀頃に本土から伝わってきた音楽の形式で、七句と五句を繰り返す七五調しちごちょうのリズミカルなふしまわしに心情しんじょうを述べていきます。(琉歌りゅうかは八八八六調の形式)

 

旅立ちの行程

上り口説ぬぶいくどぅち」の歌詞にある行程を追って地図ルートを作成しました。

下の画像をクリックする(スマホは指で広げる)と拡大表示になります。

また、寺院や建造物などの解説も下記の袋綴ふくろとじに全てまとめましたのであわせてご覧ください。

 

首里・那覇の地図

旅の行程(前半ルート)

沖縄から鹿児島の地図

旅の行程(後半ルート)

 

名称めいしょうなどの詳細を確認する場合は、下記をクリックして開いてください。

詳細を開く(クリック)

観音堂

沖縄県那覇市首里山川町にある寺院です。正式には「慈眼院じげんいん」の名称ですが、「首里観音堂」とも呼ばれています。1618年、那覇の町や海が一望できる小高い丘陵きゅうりょう創建そうけんされ、国の平安と航海安全などを祈願します。詳しくは、「慈眼院」のホームページへ

首里観音堂の画像

観音堂(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

千手観音

「首里観音堂」のご本尊で千手観音菩薩といいます。千本の手に一眼をもつとされ、生命のあるものすべてを救済しようとする慈悲じひの力を持っています。詳しくは、「慈眼院」のホームページへ

千手観音の画像

千手観音 - キーストンスタジオ蔵 提供:那覇歴史博物館

 

大道松原

現在の「首里観音堂」付近から、大道地域にかけて続く松並木まつなみきの道です。戦後、道路の拡張整備により松並木まつなみき伐採ばっさいされ周辺の様子は大きく変わりました。参考:那覇歴史博物館

首里坂下の風景画像

首里坂下・大道を望む(戦前)-  義村禎考氏蔵 提供:那覇歴史博物館

 

安里八幡宮

沖縄県那覇市安里にある神社です。1466年、武運ぶうんを祈願するお宮として創建そうけんされ、合格祈願、商売繁盛などを祈願します。詳しくは、「沖縄県神社庁」のホームページへ

八幡宮本殿の画像

八幡宮本殿(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

崇元寺

沖縄県那覇市泊にあった寺院です。歴代の琉球国王の霊位れいい(魂)をまつっているお寺で、創建そうけんした時代ははっきりとしていない。沖縄戦で寺院のほとんどが破壊され、現在は石門せきもん石碑せきひのみが残されています。

崇元寺正廟の画像

崇元寺正廟・本殿(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

美栄地高橋

現在の美栄橋駅付近に建造された石造りの橋です。昔の那覇は浮島と呼ばれる島であったため、全長約1kmからなる堤と7つの橋を建設して渡っていました。美栄橋みえばしはその真ん中に位置し、人がしていました。美栄橋みえばしは戦後、区画整理によって失われました。

美栄橋の画像

美栄橋(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

沖の寺

現在の沖縄県那覇市奥武山おうのやま町に移された沖宮おきのぐうと、沖縄県那覇市曙に移された別当寺の臨海寺りんかいじの二つを指しています。1908年までは、三重城へ向かう長堤ちょうていの途中で隣り合うように建てられていました。

臨海寺の画像

臨海寺(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

三重城

琉球王国時代より貿易港として栄えた那覇港の沖合(4つの橋が連なる長堤の先)に築かれ、当初は海賊から防衛するための役割を担っていました。明治から大正にかけて長堤の部分は埋め立てられました。

那覇港図(三重城)の画像

那覇港図(三重城) - 提供:那覇歴史博物館

 

残波岬

沖縄県中頭郡読谷村字宇座なかがみぐんよみたんそんうざにある岬で、高さ30m~40mの隆起りゅうきした珊瑚礁の断崖絶壁だんがいぜっぺきが約2km続く雄大な景勝地けいしょうちです。

残波岬の画像

残波岬

 

伊平屋島

沖縄県島尻郡伊平屋村いへやそん伊平屋伊是名諸島いへやいぜなしょとうに属する島)。沖縄本島の今帰仁村運天港なきじんそんうんてんこうより、41.1kmにある沖縄県最北端の有人島。

伊平屋島の港の画像

伊平屋島の港

 

七島

トカラ列島に点在している島々です。七島しちとうは、宝島たからじま悪石島あくせきじま諏訪之瀬島すわのせじま平島たいらじま中之島なかのしま臥蛇島がじゃじま口之島くちのしまを指します。東シナ海から流れてくる海流のうねりがあるため、航海の難所とされていました。

七島

七島(トカラ列島)の地図

 

硫黄が島

鹿児島県鹿児島郡三島村みしまむらに位置する島(硫黄島いおうじま)です。硫黄のために周辺の海が黄色に変色していることから、黄海ヶ島とも呼ばれていました。

硫黄島(鹿児島県)の画像

硫黄島(鹿児島県)

 

御開聞

鹿児島県指宿市いぶすきしに位置する開聞岳かいもんだけのことを指します。標高924mの山で、なだらかで美しい姿から別名薩摩富士さつまふじとも呼ばれています。

開聞岳の画像

開聞岳の画像

 

佐多の岬

鹿児島県肝属郡大隅町きもつきぐんおおすみちょうに位置する九州最南端にある岬です。亜熱帯の植物(ソテツ、ビロウなど)が生い茂り、天気の良い日には岬から種子島たねがしま屋久島やくしま眺望ちょうぼうすることができます。

佐多岬の画像

佐多岬

 

山川港

鹿児島県指宿市いぶすきしにある鹿児島湾入口に位置する港です。

港は湾曲わんきょくした入江いりえになっており、上空からみると鶴のくちばしにみえることから「鶴の港」と呼ばれ、古くから貿易港として栄えていました。

鰹節かつおぶしの生産量が日本一としても知られています。

鹿児島県指宿市にある山川港の画像

山川港 - 提供:指宿鰹節

 

桜島

鹿児島県鹿児島市に位置する桜島。最高峰(標高1,117m)の北岳をはじめ複数の火山が連なって形成されています。もともとは島でしたが、1914年に起きた噴火により陸続りくつづきとなりました。

桜島の画像

桜島

 

上り口説囃子ぬぶいくどぅちばやし:歌詞

 

上り口節囃子ぬぶいくどぅちばやしは、字数が多いため袋綴ふくろとじにしてまとめました。

歌詞を開く(クリック)

1.

旅の出で立ちたびぬんぢたち 観音堂くゎんぬんどう 千手観音しんてぃくゎんぬん 伏せ拝でふしをぅがでぃ 黄金酌取てくがにしゃくとぅてぃ 立ち別るたちわかる

囃子はやしさてさてさてぃさてぃ まこと嘉利吉まことかりゆし 今日の佳る日ちゅうぬゆかるひ 船頭方からふなとうがたから 風や午の方かじやうんまぬふぁ 明日の出帆あちゃぬしゅっぱん ただ今御下りただなまうくだり みゆんのけたればみゅんぬきたりば 我すた二才達もわしたにせたん 親子別れのうやくわかりぬ 玉の盃たまぬさかじち 一つ戴きてぃーちいただち めぐりめぐりてみぐりみぐりてぃ 殿内に行ぢやればとんちにんじゃりば 又々ふたまた 黄金の御酒くがにぬうしゃく おたべめしやうちうたびみしょうち 旦那お始めだんなおはじみ 千手観音しんてぃくゎんぬん 御暇召しやうちおひまみしょうち 那覇にお下りなふぁにゆくだり ”サーサさーさ”)

2.

袖に降る露すでぃにふるつぃゆ 押し払ひうしはらい 大道松原うふどうまつぃばら 歩み行くあゆみゆく 行けば八幡ゆきばはちまん 崇元寺すーぎーじ

囃子はやしあれあれありあり お伴の面々うとぅむぬみんみん 赤さふたらやあかさふたらや 月に照り行くつぃちにてぃりゆく 大道松原うふどうまつぃばら 急ぎ通ればいすじとぅりば 八幡お宮にはちまんうみやに 皆手を合わせてんなてぃをあわしてぃ 祈る心はいぬるくくるわ 錦重ねてにしちかさにてぃ 帰るお願けえるうにげえ ”サーサさーさ”)

3.

美栄地高橋みーじたかはし 打渡てうちわたてぃ 袖を連ねてすでぃゆつぃらにてぃ 諸人のむるふぃとぅぬ 行くも帰るもゆくむかえるむ 中の橋なかぬはし

囃子はやし美栄地高橋みーじたかはし 渡るごとくにわたるぐとぅくに 大和の御船もやまとのおふにん {沖縄船もうちなーふにん} 後や先にもあとやさちにん 真帆引き通ればまふひちとぅりば 行くも帰るもゆくもかえるも 絹の上からいとのいーから 親子兄弟うやっくゎちょうでー 心安くにくくるやしくに 待ちゆる嬉しさまちゅるうりしさ ”サーサさーさ”)

4.

沖の側までうちぬすばまでぃ 親子兄弟うやくちょでー 連れて別ゆるつぃりてぃわかゆる 旅衣たびぐるむ 袖と袖とにすでぃとぅすでぃとぅに 露涙つぃゆなみだ

囃子はやし袖と袖とにすでぃとぅすでぃとぅに 涙ふくめてみだなふくみてぃ 親子別れやうやっくゎわかりや 喉もつまってのどんちまってぃ 物も言われゆめものんいわりみ {いちむんむんじゅういちむんむんじゅう} 何れ嘉利吉いじりかりゆし 岩乗しち来うがんじゅうしちくう やがて伝馬にやがてぃてぃんまに 御伏つみ上げぐじょうちみあぎ 御船に乗りつくうふににのりちく ”サーサさーさ”)

5.

船のとも綱ふにぬとぅむづぃな 疾く解くととぅくどぅくとぅ 舟子勇みてふなくいさみてぃ 真帆引けばまふふぃきば 風や真艫にかじやまとぅむに 午未うんまふぃつぃじ

囃子はやし船頭佐事船子ふなとうさじかく 勇み勇みていさみいさみてぃ たのみぎやならんなたのみぎゃらんな 錨ひき乗せいかいしちぬし 帆も引き上げふんひちあぎ 手綱引き取ててぃじなひちとぅてぃ それそれ出づればすりすりんじりば 旦那おはじめだんなおはじみ 我すた二才達もわしたにせたん 盆の上さめぼんのいーさみ ”サーサさーさ”)

6.

又も廻り逢ふまたんみぐりあう ご縁とてぐいんとぅてぃ 招く扇やまにくおーじや 三重城みーぐしく 残波岬もざんぱみさちん 後に見てあとぅにみてぃ

囃子はやしさてさてさてぃさてぃ 嘉利吉御船やかりゆしうふにや 幾度召しやうちもいくとみしょちん 招く扇のまにくおーじん 返す如くにけーすぐとぅくに 大和と沖縄やまととうちなー 絹の上からいとのいーから 真帆引き通ればまふふぃちとぅりば 一目も見らぬちゅみんみらん 残波岬やざんぱみさちや 後に見なちゆてあとにみなちょてぃ ”サーサさーさ”)

7.

伊平屋渡立つ波いひゃどたつなみ 押し添へてうしすいてぃ 道の島々みちぬしまじぃ 見渡せばみわたしば 七島渡中もしちとうとなかん 灘安くなだやすぃく

囃子はやし旦那おはじめだんなおはじみ 我すた二才達もわしたにせたん 舟酔もさぬ如ふねえさんぐとぅ 船頭呼で来よてふなとういりちょてぃ {あれやいいじまありやいいじま} あれやとくしまありやとぅくしま これや与論かこりやゆるんか 名に負う立つ波なにおうたつなみ 静かなる代にしじかなるゆに 七島渡中にしちとうとなかに 三日の御祝みちゃのうゆいぇい ”サーサさーさ”)

8.

燃ゆるむゆる立ちゆるたちゅる煙やちむりや 硫黄が島いをぅがしま 佐多の岬にさだぬみさちん 走り並ではいならでぃ ”エイえい” あれに見ゆるはありにみゆるは 御開聞うかいむん 富士に見まがふふじにみまごう 桜島さくらじま

囃子はやしあれあれありあり 燃ゆるむゆる立ちゆるたちゅる煙やちむりや 硫黄が島さめいをぅがしまさみ ”サーサさーさ” 引き上げひちあぎ 風声勇めばかじぐぃいさみば 佐多の岬もさたぬみさちん 手とて見ゆさてぃとぅてぃみいゆさ あれに見ゆるはありにみゆるわ 御開聞さめうかいむんさみ 富士に見紛ふふじにみまごう 桜島かなさくらじまかな 嬉し誇らしやうりしゃふくらしゃ ”サーサさーさ”)

御前風調ぐじんふうちょう: 夢の間にゆみのまにいつの間にいちのまに着きやさちちゃさ 山川港やまごうんなと ”ヨーンナよーんな

 

※{ }内の歌詞は、流派によって歌われ方が異なる箇所です。

 

上り口説の舞踊写真

- 琉球古典舞踊 二才踊り「上り口説」 -

 

上り口説ぬぶいくどぅち」:演目解説

 

あらまし

上り口説ぬぶいくどぅち」の「上りぬぶい」とは、琉球王府の使節が薩摩へ公務に出向く旅程りょていを指し、演目は首里を出発して薩摩の山川港やまがわこうに入港するまでの様子を描いています。

旅の道中の情景を七五調しちごちょうの「口説くどぅち」で述べ、四拍子のリズムにあわせて両手に持つ金銀扇を巧みにあつかいながら踊る演目です。

 

みどころ

上り口説ぬぶいくどぅち」は、囃子はやし(上記、袋綴ふくろとじ参照)を付け加えた形式で踊られることもありますが、本文では省略します。

前奏より、金銀扇を両手に持ち《水流し※1》の構えで下手奥しもておくから直線を歩んで登場し、舞台中央で基本立ちになります。

上り口説ぬぶいくどぅち」1番の歌い出しより扇に振りをつけ、”千手観音しんてぃくゎんぬん 伏せ拝でふしをぅがでぃ”の一節で、ひざをついておがむ所作に旅の無事を祈願します。

2番は旅立ちの意気込みをあらたにして、”大道松原うふどうまつぃばら 歩み行くあゆみゆく”の一節で、歩行の動作をとりながら道行みちゆく姿を凛々りりしく表現し、続く3番”行くも帰るもゆくむかいるむ”の一節では、舞台中央より前に進んでから振り返り、また後方へ進む動きに交差する人々の様子を描いていきます。

4番”袖と袖とにすでぃとぅすでぃとぅに”では、袖口に扇を交互に添えてお別れの悲しみあらわし、5番”真帆引けばまふふぃきば”の一節では、船の帆をみたてるように扇を持った両手を大きく振りかざして出発の時を迎えます。

6番は、船出とともに徐々に離れてゆく景色を描きながら、”後に見てあとぅにみてぃ”の一節で後ろを振り返って故郷を想う心をあらわします。

7番”伊平屋渡り立つ波いひゃどぅたつなみ 押し添へてうしすいてぃ”で、波にみたてながら前方に扇を2回振る所作に大海原おおうなばらを勇ましく突き進む様子を描いて、最後の8番では航海の終盤を薩摩の景観に映し重ねて踊りを納めていきます。

 

《水流し※1》

扇を持つ両手を前方に半円を描くように構える所作。

流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。

 

補足

 

楷船かいせん馬艦船まーらんせん

当初、琉球王府は薩摩さつまへ上る時の公用船として楷船かいせんを使用していましたが、貨物を一緒に積載せきさいすると航行こうこうが困難であるため、のちに琉球王府が所有する大型の馬艦船まーらんせんに乗って薩摩へ上るようになりました。

薩摩さつま御用船ごようせんに乗って海を渡っていた時期もあります。

 

楷船の絵図

楷船(拡大表示) - 提供:東京国立博物館

馬艦船(マーラン船)の絵図

馬艦船(拡大表示) - 提供:東京国立博物館

 


 

参考文献(本)のイメージ画像
参考文献:一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。     1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...

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マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
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