工工四
歌詞
恩納松下に 禁止の碑のたちゆす
恋忍ぶ迄の 禁止やないさめ
訳
恩納番所に立っている松の木の下に、注意書きの立札が立てられているが、
恋をすることまで禁止しているのではあるまいか。
恩納松下
- 番所(村役所)の近くに立っていた松の木
解説
「恩納節」は現在の国頭郡恩納村恩納が発祥の地で、恩納番所跡に隣接した一角には本曲の歌碑が建てられています。
尚敬王(在位:1713-1751年)の時代、外交問題における風紀の乱れを危惧した琉球王府が、若い男女の間でおこなわれていた毛遊び(※1)に対して厳しい取り締まりをおこなった背景により本曲が誕生したとされています。
歌人である恩納なべが創作したもので、当時の社会情勢や政治に対する大衆の想いを力強く詠った琉歌であると云われています。
毛遊び(※1)
若い男女が広場に集まり、円陣をつくって三線の音に合わせて歌ったり、踊ったりして交流をはかる場。
毛は”野原”のことで、遊びは”宴”を指している。
略歴
■恩納なべ(18世紀頃)
現在の沖縄県国頭郡恩納村に生まれる。
尚敬王(在位:1713~1751年)の時代に活躍した農村出身の女流歌人。
自由な発想とおおらかで情熱的な作風を中心に琉歌を詠む。
代表する作品には琉球古典音楽「恩納節」の歌がある。
略歴
■尚敬王(1700-1751)
第二尚氏王統の第13代国王。
教育と文化振興に力を入れ、琉球王国を文化大国へ導いた名君。
現代に伝承される芸能文化の多くがこの時代に生み出される。
1719年には台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された組踊(国の重要無形文化財、世界のユネスコ無形文化遺産)が誕生。
補足
その他の琉歌(作:恩納なべ)
姉べたやよかて しのぐしち遊で
わすた世になれば おとめされて
訳
お姉さんたちの時代がうらやましい、シヌグの宴が開かれて。
私たちの時代はそれができなくなってしまった。
しのぐ
- 災害や病疫を祓い鎮め、村集落の豊穣や繁栄を祈願する祭事。古くより沖縄各地で伝承され、さまざまな形態の神事がおこなわれる。「シヌグ」の語源については「災いを凌ぐ」などいくつかの諸説あり。
遊で
- 集い
- 宴
- 催し事
御前風五節
「恩納節」は宮廷の祝賀行事の座開きに琉球国王の御前で演奏され、「かぎやで風節」、「中城はんた前節」、「特牛節(こてい節)」、「長伊平屋節」の五曲を総称して”御前風五節”と呼んでいます。
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは、「恩納節」が舞踊曲として演奏される「伊野波節」の演目について解説しています。
「伊野波節」 - 古典舞踊/女踊り
伊野波節:歌詞 逢はぬ夜のつらさあわんゆぬつぃらさ よそに思なちやめゆすにうみなちゃみ 恨めても忍ぶうらみてぃんしぬぶ 恋の習ひやくいぬなれや 訳 逢えない夜は辛いこと、あ ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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