恩納節:工工四
歌詞
恩納松下に 禁止の碑のたちゆす
恋忍ぶ迄の 禁止やないさめ
訳
恩納番所に立っている松の木の下に、注意書きの立札が立てられているが、
恋をすることまで禁止しているのではあるまいか。
番所
現在の村役所
楽曲の解説
「恩納節」が誕生した背景を探ると、尚敬王(在位:1713-1751年)の時代につきあたります。
当時の琉球王府が外交(使節の巡察)の問題において風紀の乱れを心配し、若い男女の間でおこなわれていた毛遊びに対して取り締まりを厳しくしました。
時代背景
尚敬王の時代は教育に力を入れ、琉球王国を文化大国へと築きあげていきます。文学や工芸が盛んになった時代に、女流歌人として名を残した恩納ナビーと吉屋チルーが誕生します。
恩納ナビーは市民の心情や恋愛、社会や政治における訴えを歌にのせ、情熱的に力強く詠い多くの人々を勇気づけました。
琉歌・芸能研究者である島袋盛敏(1890-1970年)の「琉歌集」には、「恩納節」本歌をはじめとする25首の歌詞が集録されているが、恩納ナビーが詠んだ歌詞が多くの人に親しまれている。
前述とつながりのある代表的な琉歌。
恩納ナビー
姉べたやよかて しのぐしち遊で
わすた世になれば おとめされて
【訳】神遊(かみあそび)ができたお姉さんたちの時代がうらやましい。
私たちの時代は、それができなくなってしまった。
補足
「恩納節」を含む、「かぎやで風節」、「中城はんた前節」、「特牛節」、「長伊平屋節」の古典音楽五曲を総称して、”御前風五節”と呼んでいる。
当時の政治を揶揄した「恩納節」が、琉球王府の”御前五風節”に取り入れられた理由には諸説ありますが、主たる理由は琉球王国の一般市民の切なる想いを誰にも親しみやすく表現した作品に対し、当時の琉球王府が素直に認めた懐の深さにあるのかもしれません。
参考文献
・琉球装束(その一) 舞踊と装い 古典女踊りの装い - 著者:金城 光子、 祝嶺 恭子
・沖縄の踊りの表現特質に関する研究 - 著者:金城 光子
・琉球古典音楽の表層―様式と理論 - 著者:大湾 清之
・花かんざし - 発行:冠船流川田琉球舞踊団
・沖縄新民謡の系譜 - 著者:大城 學
・沖縄舞踊の歴史 - 著者:矢野 輝雄
・琉球舞踊の世界 - 著者:勝連 繁雄
・ふるさとの歌 - 著者:与那嶺 政牛
・琉球芸能教範 - 著者:池宮喜輝
・原日本・沖縄の民俗と芸能史 - 著者:三隅 治雄
・琉球音楽歌三線筝曲綜譜 - 著者:川田 松夫
・琉舞手帖 - 著者:大道 勇
・舞踊曲工工四 - 発行:琉球古典音楽 野村流保存会
・沖縄祭祀資料 - 発行:データベース
・琉球舞踊 石川文洋写真集 - 著者:石川文洋
・琉球舞踊(鑑賞の手引き) - 発行:沖縄県商工労働部観光・文化局文化振興課
・琉球舞踊 - 発行:沖縄県商工労働部観光・文化局文化振興課
・文書・写真資料 - 管理:那覇歴史博物館
・国指定文化財等データベース - 管理:文化庁