工工四
歌詞
穂花咲き出れば ちりひぢもつかぬ
白ちやねやなびき あぶしまくら
訳
稲の穂花が咲き出すと塵や土(泥)もつかない。
白種(お米)を包む稲穂がなびき、畦を枕にしている。
穂花
- 籾のフタが開いて咲く小さな白い花。(参考写真:下記参照)花の受粉後、籾のフタを閉じてお米を育てていきます。
白ちやね
- 白い種子(お米)
畦
- 水が外に漏れないように田んぼの間に土を盛り上げてつくった堤。
- 田んぼの区画をあらわすとともに、農作業をおこなう通り道(畦道)として利用される。
解説
「作田節」は緑豊かな田園風景に稲の成長を描き、よく実ったお米の豊作を祝して詠まれた歌曲です。
ぐんぐんと育った稲の若苗は茎から籾の集合体である穂を形成し、天候の良い暖かな時期を迎えると小さな白い花を咲かせます。
花の受粉後、稲は光合成をおこない栄養分を籾に送り込んでお米を育てていきます。
補足
作者
最古の琉歌集である『琉歌百控』(※1)には本曲が収録されており、作者は「赤犬子神 音東神両人作」と記されています。
「赤犬子」は言わずと知れた三線音楽の始祖ですが、「音東」については人物名以外にも諸説があり、音の調子「音揚がり」を意味する語句から派生したもので音楽家の通称として使われるようになった言い伝えが残されています。
『琉歌百控』(※1)
上編「乾柔節流」、中編「独節流」、下編「覧節流」の三部(全601首)からなり、1795年~1802年にかけて編纂された最も古い琉歌集です。
略歴
■赤犬子(15世紀頃)
※古謡や琉歌に名前が残されているが実在について記録された文献はなく、伝説上の人物として語られている。
三線音楽の始祖とされ、尚真王の時代(在位:1477年~1526年)に琉球王朝の三線弾き(音楽家)の役職にあったとされる。
赤犬子が晩年を過ごした読谷村楚辺に功績を讃えた赤犬子宮が建てられ、毎年旧暦の9月に例祭がおこなわれている。
昔節
「作田節」は古典音楽の昔節(※1)の分類に属し、「早作田節」のチラシ(※2)につないでいきます。
昔節(※1)
ちらし(※2)
つないで演奏する終結部の楽曲。
楽曲の熱を徐々に散らしながらおさまりをもたせる構成をとります。
御供ともいいます。
「早作田節」- 古典音楽
工工四 印刷・保存 【工工四について】 歌詞 春や花盛りはるやはなざかゐ 深山鶯のみやまうぐいすぃぬ 匂しのでほけるにをぃしぬでぃふきる 声のしほらしやくゐぬしゅらしゃ & ...
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古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは「作田節」が舞踊曲として演奏される「作田(作田節)」について解説しています。
「作田(作田節)」 - 古典舞踊/女踊り
作田節:歌詞 誰がすもてなちやがたがすもてなちゃが 手に馴れし扇子やてぃになりしおじや 暑さ涼だましゆるあつぃさすだましゅる 頼りなとすたゆりなとぅす 訳 どなたが作ったの ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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