伊野波節(第一曲目):歌詞
逢はぬ夜のつらさ よそに思なちやめ
恨めても忍ぶ 恋の習ひや
訳
逢えない夜のつらさよ、他の女性に心を移したのでしょうか。
恨めしく思いながらもあなたのもとへ忍んでいくのは恋する者の性です。
恩納節(第二曲目):歌詞
恩納松下に 禁止の牌の立ちゆす
恋忍ぶまでの 禁止や無さめ
七重八重立てる 籬内の花も
匂移すまでの 禁止や無さめ
訳
恩納番所に立っている松の木の下に、注意書きの立て札が建てられているが、
恋をすることまで禁止しているのではあるまいか。
幾重にはりめぐらした籬の内の花も、
その匂いが籬の外にただようことをとめることはできません。
籬
竹、柴を編んでつくった垣。
長恩納節(第三曲目):歌詞
逢はぬ徒らに 戻る道すがら
恩納岳見れば 白雲のかかる
恋しさや詰めて 見欲しやばかり
訳
逢うこともできず、空しく戻る道すがら、
恩納岳をみると白い雲(心模様)がかかっています。
恋しさが増して、一目会いたい思いはつのるばかりです。
恩納岳
沖縄本島のほぼ中央部に位置し、北の沖縄県国頭郡恩納村瀬良垣(せらかき)、南の同郡金武町伊芸(いげい)との境界をなす標高は363メートルの山。(参照:Wikipedia - 恩納岳)
「伊野波節」:解説
あらまし
内に秘めた情愛を大輪の花笠に託して演じられる演目です。
前半は花笠を手に持って胸中の思いを燃焼させ、後半では花笠を深々とかぶり愛しい人を慕う余情を残し演じていきます。
別名「花笠踊り」、「女笠踊り」と呼び、「諸屯」と並び最高峰の琉球舞踊と称されています。
みどころ
演目は、「伊野波節」、「恩納節」、「長恩納節」の三曲で構成されています。
第一曲目(出羽)「伊野波節」にあわせて、《角切り※1》で歩み舞台中央で基本立ちになると、”逢はぬ夜のつらさ”の歌い出しで花笠を胸元にひきつけ、深い《思い入れ※2》をいれていきます。
”よそに思なちやめ”の一節で、上手前方向に小走りで移動して心の揺れをあらわし、手に持つ花笠を大きく振りかざして情念を燃やす所作は、他の古典女踊りにはない唯一の表現形式です。
”ハイヤーマーター”の囃子では、静的な舞踊に《あごあて※3》のアクセントをつけ、全身の力を一瞬抜いて女心の妙を視覚的に訴えていきます。
「伊野波節」が女心の切実な情感を綴っていくのに対して、第二曲目(中踊り)「恩納節」は、花笠をかぶり軽やかなテンポにあわせた歩みを中心に描いていきます。
”七重八重立てる”の一節で、かぶる花笠を両手で添えて左右に振り向きながら歩み、”匂移すまでの”の一節では、両手で袖をすくい上げたまま振り向く《袖とり※4》の技法をもって、匂いを抒情的に表現していきます。
第三曲目(入羽)「長恩納節」では、”白雲のかかる”の一節で《白雲手※5》をおこなうと同時に、音楽の間と違った舞踊の間を生み出し、地謡と踊り手が尺をはずさないように息を合わせる工夫が必要となります。
”恋しさや詰めて”の一節では、《あごあて》の技法をもって恋うる切なさと燃える情念を美しい手踊りであらわしながら余韻を残して締めくくります。
《角切り※1》
踊り手が舞台を斜めに、下手奥から上手手前へ向かって対角線上に歩み出ること。
《思い入れ※2》
心に深く思いをそそぎこむ所作。
《あごあて※3》
首を傾け、顎に手をあてる技法。心の内にある情感をにじみ出しながら表現していきます。
《袖とり※4》
袖を両手ですくあいげる技法。袖に関する内容に自身の心象を映し重ねて表現していきます。
《白雲手※5》
両手を斜め上にあげ指関節と手首をつかって波うたせる手踊りのことです。(※流派によって違いがあります)
出羽/中踊り/入羽
出羽は踊り手が登場する出の踊り。中踊りは舞台中央奥で立ち直りをしたあとの本踊りを指し、入羽は舞台下手奥に戻っていく納めの踊りのことを指します。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
補足
「伊野波節」の本歌
琉歌を三線にのせて歌う場合、「伊野波節」の本歌は以下になります。
伊野波節(本歌):歌詞
伊野波の石こびれ 無蔵つれて登る
にやへも石こびれ 遠さはあらな
訳
伊野波の石坂道を愛しい人を連れて登っていく。
難儀な石坂道はもっと遠ければよいのに。
本歌と替え歌
歌詞にあわせて旋律が借用され、こうして本歌と替え歌の関係が派生したのは、古くには文献が残されているオモロの時代からであり、今日の創作舞踊にいたるまでひとつの伝統形式として成り立っています。
編集後記
人の間(ま)
舞台芸術に限ったことではなく、生活のさまざまな場面においても、心澄まさなければ見えてこない「間」というものが存在します。
何気ない日常的な会話において、身振り手振り、相手に対して心を配り、「間」を合わせたりします。
また、時間や空間には必ず隙間がうまれるように、人との間にも関係性を見定める適度な「間」が必要であると、私たちは経験的に知っています。
近すぎても遠すぎても間が悪い。
これは簡単に体得できるようなものではなく、実社会の経験、日々の自己研鑽により、ようやく身につくものであると感じています。
静寂という「間」を生み出したうえで、次に展開する演奏と踊りとの結びつきを身体全体ではかる。
琉球古典芸能が織りなす絶妙なインターバルは、人間の心に響き、奥ゆかしい美しさを感じさせてくれます。
われわれは、この人生における「間」の呼吸法を忘れてはならない。
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参考文献:一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。 1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...
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