本嘉手久節(第一曲目):歌詞(野村流)
深山鶯の 節や忘りらぬ
梅の匂忍で ほけるしゆらさ
訳
深山の鶯が季節を忘れずに
梅の匂いを忍んでさえづる声の美しいことよ。
本嘉手久節(第一曲目):歌詞(安富祖流)
深山鶯の 節や知らねども
梅の匂しちど 春や知ゆる
訳
深山の鶯は季節を知るよしもないが、
梅の匂いで、春を知ることができる。
流派による違い
琉球古典音楽の流派には、安富祖流、野村流、湛水流の三つがあります。
各流派によって、奏法や歌唱法、歌詞などの伝承方法に違いがあり、本項の「本嘉手久節」は、安富祖流と野村流の二つの歌詞を掲載しています。
出砂節(第二曲目):歌詞
笠に散りとまる 春の花ごころ
袖に思とまれ 里が御肝
訳
笠に散りとまる春の花のように、
わたしの袖にとまってほしいものです、愛しい人のお心よ。
揚高祢久節(第三曲目):歌詞
春にうかされて 花のもと忍で
袖に匂うつち 戻るうれしや
訳
春に浮かされて、花のもとに忍んでいき
袖に匂いをうつして戻ることのうれしさよ。
忍んで
直訳としては、”他に知られないように 、気持ちを抑えて”といった意味になります。
梅に鶯
「梅に鶯」という故事ことわざがあります。
意味は、”よく似合って調和の合うもの、仲の良い間柄”のたとえをあらわします。
梅は他の花にさきがけて春を告げ、鶯は「ホ~ホケキョ」と美しく透き通った鳴き声で春の訪れを知らせてくれます。
「本嘉手久」:演目解説
あらまし
春の訪れを舞台に花笠と手にもつ杖串(※1)の小道具を使い、若い女性の恋ごころをあらわしていく演目になります。
昔は、歌の全容から「花見踊り」、または手にもつ花笠に準え「笠踊り」とも呼ばれていました。
演目全体を通して扱う花笠は「伊野波節」とは逆に、前半に花笠をかぶり、後半から手にもつ構成で演じられます。
春を告げる梅の花と鶯の姿を愛でながら、恋情を映し重ねて表現するところにこの演目の趣があります。
杖串(※1)
杖を象徴し、演目の用途によって使い分けができるように短い竹(約60cm)で作られた小道具です。
琉球舞踊や組踊で演じられる道行の場、刀を表象する所作に用いられます。
みどころ
演目は、「本嘉手久節」、「出砂節」、「揚高祢久節」の三段構成(出羽、中踊り、入羽)で演じられ、各曲のつなぎで徐々に高まりをみせる曲想へと変化していきます。
第一曲目(出羽)の「本嘉手久節」では、花笠をかぶり手に杖串を持って踊り手が《角切り※2》で道行の形をとります。
”梅の匂しちど”の一節で、手にもつ杖串の先端部を肩に添え、香り立つ春の訪れをあらわしていきます。
その後、舞台中央奥で後ろ向きに座って、かぶっている花笠をはずし中踊りにつなぎます。
第二曲目(中踊り)の「出砂節」では、手に持つ花笠を美しくあつかいながら春の華やかさを描いていきます。
”袖に思とまれ”の一節で、《袖とり※3》の技法をとって女性の恋ごころをあらわし、”里が御肝”の一節では、花笠を胸に当て一段と恋慕う思いを燃焼させていきます。
第三曲目(入羽)の「揚高祢久節」は、高揚のある曲想にあわせて浮き立つ気持ちを表現していき、”戻るうれしや”の一節で、花の匂いに恋情を写し重ね、余韻を残しながら踊りを納めます。
《角切り※2》
踊り手が舞台を斜めに、下手奥から上手手前へ向かって対角線上に歩み出ること。
《袖とり※3》
袖を両手ですくあいげる技法。
出羽/中踊り/入羽
出羽は踊り手が登場する出の踊り。中踊りは舞台中央奥で立ち直りをしたあとの本踊りを指し、入羽は舞台下手奥に戻っていく納めの踊りのことを指します。
琉球古典舞踊の基本構成は、この三部のつながりで成り立っています。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
補足
「本嘉手久」の由来
演目名の「本嘉手久」の由来については、「本貫花」や「本花風」と同じように「本」=”元祖、本来”の意味合いをとり、沖縄民謡の「嘉手久」などと区別するために名付けられたものといわれています。(他にも諸説あり)
また、ベースとなる楽曲に関しては、奄美大島の嘉徳村に伝承されている「早嘉手久節」との関連性が有力なのではないかといわれています。
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参考文献:一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。 1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...
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