インタビュー

■第2回 銘苅三味線店 銘苅 春政 - 「加減を知ること」

2019年10月27日

インタビュー紹介

 

【銘苅 春政】

銘苅 春政

銘苅三味線店にて

プロフィール

1934年(昭和9年)、沖縄県南城市に生まれる。

85歳(2019年現在)を迎えた今もなお現役であり続け、沖縄伝統文化の継承に寄与する。

熟達した木材の見立て、削りの感をもって完成された三線は、演奏者の手に自然とおさまり、その美しい棹の姿から「銘苅型」と称される。

実演家としても精進されており、県指定無形文化財保持者である。

  • 沖縄県工芸士認定者
  • 胡弓 県指定無形文化財保持者
  • 安冨祖流絃聲会 三線 胡弓 師範

 

インタビューにあたり

三線の材となる原木と語らい.. その性格を知り、癖を読む。

ミクロ単位の仕上げは、けして機械で作り出すことはできず、手の感覚で覚えていくしかない。

最後に頼れるのは知識や理論ではなく、原木の特性を熟知し、自らの手に記憶した"感"である。

名匠と呼ばれて久しいが、常に謙虚な姿勢で穏やかでり続けることは、これまでに磨き上げた技、日々の心構え、そのたゆみない鍛錬の蓄積が厚みのある品格となって溢れ出しているからではないだろうか。

第2回インタビューは、60年以上に渡って一道をつらぬいてきた 三線職人の名匠 銘苅 春政先生の魂の言葉に迫ります。

 

職人人生のはじまり

 

インタビューを始めさせて頂きます。本日はどうぞよろしくお願いします。

はじめに、銘苅先生が三線職人の道を歩まれたきっかけをお聞かせください。

銘苅 春政先生

おとうが大工の棟梁とうりょうで、終戦間もなくして家業を手伝ってたのよ。

戦争でたくさんの人を失った。

軍艦の艦砲かんぽう、戦闘機による空爆、地上戦。

昼は麦畑や小さいがま(下記※1)の中で過ごし、夜は家の明かりがもれないようにじっとしてよ。

当時は遊び道具も、履く下駄もなかったから全部自分で作ったよ。

おつゆの鍋に穴が空いたら水がるさ、現代は穴が空いたらすぐ捨てるけど、ひもじかったから穴をふさいで工夫したものよ。

金細工節かんぜーくぶしに出てくるフーチ(下記※2)、稲摺節いにしりぶしに出てくるウシ(下記※3)、琉球舞踊に使うジーファー(下記※4)、位牌いはい仏像ぶつぞうなども彫刻した。

なんでも細かいとこまでやりよったから、親戚の三味線屋のおやじが田舎に来て「三味線づくりしないか」と声かけたわけよ。

戦中戦後は飯が食えればそれで良いから、思案しあんせず、ありのまま自然に流れてきたわけよ。

インタビュー銘苅 春政先生

太平洋戦争 沖縄戦を語る

 

 

- 戦中戦後の困難の中、創意工夫しながら生き抜いた一日一日は、長きに渡る職人人生を支える基礎となる -

その後、銘苅先生は三味線店での修業を終え、独立されたのですね。

銘苅 春政先生

三味線店に7年間住み込みで修行してから、独立して自分のお店を持ったよ。

30年ほど那覇の安里で三味線づくりしてたけど、お店がB円時代(下記※4)につくられた古い建物で、建て直しが必要だったこと、おかあも歳だから田舎に戻ってきたわけよ。

うちのおかあは、今年で109歳(2019年現在)で明治の人よ。

 

※参照

※1 がま(ごう)
太平洋戦争の沖縄戦において、住民の避難場所、野戦病院として利用された自然洞窟のこと。沖縄には、糸数のアブチラガマ、読谷のチビチリガマ・シムクガマ、沖縄陸軍病院第三外科壕跡、伊江島のニャティヤ洞など、大小合わせて約2,000の石灰石で形成されたガマがある。

※2 フーチ(ふぃご)
金および貴金属の加工(金細工)などで高温が必要となる場合に、燃焼を促進する目的で使われる道具(送風機)。
参考サイト: Wikipedia - 鞴

※3 ウシ(うす)
穀物の脱穀や製粉、餅つきなどに用いる道具。
臼には、ひき臼(脱穀用)とつき臼(餅つき用)の2種類があり、本文に掲載の「稲しり節」はひき臼を指す。
参考サイト:南城市公式HP - 稲摺節(いにしりぶし)

※4 ジーファー(かんざし)
琉球王府時代、身分により異なった素材(王族は金、士族は銀、平民は真鍮しんちゅうや木)のジーファー(かんざし)を挿す習わしがありました。また、先端部はとがっているため護身用の武器にもなり、逆側はスプーンのような形状は整髪用の油をすくうために使用していました。

※5 B円(びーえん)
終戦後、米軍占領下の沖縄を恒久的に統治するために発行した通貨。

 

健康に生きるための秘訣

 

銘苅先生のお母様は、明治生まれの109歳!(2019年現在)

ご健在とのことですが、健康の秘訣はありますか。

銘苅 春政先生

「いーっちゅやんよー」 = 「あの人は、良い人」という意味さぁ。

なんのおこりもないし、人徳じんとくがあること。

おかあも怒らない。知らん人が来ても「お茶はいってるよぉ、さーたーぐわぁー(黒糖)もあるよー」と差し出すのよ。

難しくしているのは、いつだって自分の心。怒らないことが健康の秘訣。

どんな人間でも取柄とりえがあるさ、誰でも失敗はあるのだから他人を許して理解することよ。

そして、学問はあるけど言葉遣いが悪い人間は物事を知らない。

お金だけが人助けではないよ、言葉を手伝うのも人助けよ。

 

他人を許すことは、いては自分自身を許すことにもつながりますね。

実践する時のコツはありますか。

銘苅 春政先生

商売で一日に三味線を何本もつくるとなると、見る目がなくなるからゆがみが多くなるわけよ。

しっかり見て仕上げたつもりでも、次の日に見たときは変わっていることがある。

八重山民謡に、”月や昔から変わるごとねさみ 変わていくものや人の心”という歌がある。

お月さまは昔から変わることがない、変わっていくのはいつも人の心という意味よ。

人間の心というものは、知らず知らずに変わる。

三味線でも人生でもなんでも、一拍いっぱく、心を休ませて、また見るようにすることが大切よぉ。

 

加減を知ること

 

銘苅先生が仕事をする上で、大事にされてきた心構えはありますか。

銘苅 春政先生

三味線は、ものさしやコンパスでははかれないところがあるよ。曲がり過ぎても、まっすぐ過ぎてもあじがない。

見る目が大事。

ほとけの顔と一緒で三味線にも、やさしく見える曲がり方があるわけよ。

仏像ぶつぞうの台座となるはすの花のふくらみは、盛りすぎるとあじがなくなるさ。花のにくを何ミリとるか加減を知ることで、見手みてのやわらかさが出てくる。すっきりした線を出すには髪の毛ほどのミクロの世界を感じとる目が必要なわけよ。

どんな仕事も、加減を知ることが大事よ。

 

与那城型(鳩胸)三線の写真1

与那城型(天側面)
三線の写真2

与那城型(天)
三線の写真3

 

 

三線のソウと音の関係性はどのように影響していますか。

銘苅 春政先生

三味線は作るのではなく、まれてくるのよ。

木はそれぞれの顔や性格をもってる。

ソウは、原木を荒割あらわりにしたものを丁寧に時間をかけてひねさせ、材を曲げてから削りだす。

歌口うたくちから正目まさめがスーっと通って、年輪の筋が曲がっていないものは音が素直で上等。

他にも、ソウの「野面トゥーイ」の取り方、チーガーの「部当てブアーティ」の角度調整があるわけよ。

指で弦を押さえた時に、高音域の音をしっかり出すために「粟転びあわくるび」という粟粒あわつぶが転がるくらいの坂をつくるわけよ。

最後の仕上げの研ぎや塗りも大事。

ただ塗れば良いというものじゃない。目には見えないミクロの凸凹があると、山に当たって開放弦かいほうげんで弾いた時にジリジリ音がするさ。

 

三線のイラスト図

三線の図 - 琉球音楽歌三線箏曲綜譜

 

ミクロ単位の調整がないと、良質な音は出ないわけですね。

蛇皮についてもお聞かせください。

銘苅 春政先生

「蛇皮は三味線店から家までもてば良し」という昔の言葉があるさ。

それだけしっかり皮を張れば、本来持っている三味線の音を最大限に引き出せるのよ。

蛇皮は自然のものだから良い皮を使っていても、薄い皮、厚い皮の張り方やチーガーの中の面積によって工夫しないと鳴らない。

おうちで練習するだけだったら人工皮じんこうがわでもよし。

どういう音が好きかで蛇皮の張り方も変わるさ。

昔の三味線は、蛇皮の張りが弱いもんだから、ソウの振動を含ませるためにチーガーを小さく作ってあるわけよ。

 

銘苅三味線店の工場写真

三線の棹に使われる原木(黒木)

 

 

最後に

 

三線職人として60年以上に渡って一つの道をつらぬき、また実演家としてもご活躍されてきました。

最後になりますが、この記事をご覧になられている読者へ、一つお言葉を頂いてもよろしいでしょうか。

銘苅 春政先生

なさけを大事にしなさい。

ただ、三味線を弾けば良いというものではない、あじというものがあるさ。

気持ちを大きくして、いい歌を見せようとするのではなく、まず稽古で習った基本をしっかり出すこと。ちょっとの失敗があっても心を入れ替えて最後まで通すことよ。

それは、三味線でも舞踊でも人生でもなんでもいえる。

自然に心から入ってくるようなじょうがないとよ。

いーむん やなむん(良し悪し)をしっかり見定めて選択する。

心の置きどころ。

この世における全ては自分次第よ。

なさけ - 1、おもむき、あじわい 2、他人をいたわる心、思いやり

 

あとがき

 

沖縄県本島南部

銘苅三味線店から県道48号線を抜けてほどなく、なだらかで美しい曲線を描く丘陵地の高台に玉城城跡たまぐすくじょうせきが静かにたたずんでいる。

自然石でつくられたハート型の城門と、石積みの城壁が時代の流れを物語り、丘から見晴らす東の海の彼方には、現代人がはるか昔に置き忘れてしまった望郷ぼうきょうの記憶が浮かんでいる。

 

玉城城跡 城門の写真

玉城城跡 城門

 

現代社会では、経済の効率や生活の利便性を追求するあまり、それと引き換えに失ってしまったものがある。
便利の必要性が区別できなければ、ただ人は複雑なモノゴトを避けるようになり、自らが判断したり、創意工夫する能力を知らず知らずに失ってゆくだろう。

自然をうやまい、先祖代々、継承されてきた沖縄の伝統文化には、時代の砂塵さじんに埋もれてしまった「人生の気づき」がいくつも残されています。

 

玉城城跡から空を見上げた写真

玉城城跡から空を見上げる

 

城跡を散策している途中、木の葉からしたたつゆほほをかすめた。

思わず空を見上げると、おだやかな太陽の横をいつも通り雲がのんびり流れていた。

 

参考文献

・楽器を中心とした文化財保存技術の調査報告2 - 発行:独立行政法人国立文化財機構
・文化財課要覧 - 発行:沖縄県教育委員会
・玉城城跡整備実施計画報告書 - 玉城村教育委員会
・第2章 南城市の景観特性 - 南城市

  • この記事を書いた人

マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
好きな飲み物:葉先のしずく

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