古典舞踊

「本花風」 - 古典舞踊/女踊り

本花風節:歌詞

 

三重城にのぼてみぐすぃくにぬぶてぃ 打ち招く扇うちまにくあをぅぢ

またもめぐり来てまたんみぐりちてぃ 結ぶ御縁むすぃぶぐゐん

 

三重城にのぼって(出船)に打ち招く扇は、

再び巡り会うご縁を結んでくれるでしょう。

三重城みぐすぃく

沖縄県那覇市にある城砦跡じょうさいあと

対岸にある屋良座盛築城やらざもりぐしく(1554年)の後に築かれたので新城とも呼ばれている。

三重城は琉球王国時代より貿易港として栄えた那覇港口の北岸の沖合(海に突き出た長堤ちょうていの先)に築かれ、外敵から防衛するための城塞じょうさいの役割を担っていた。

明治から大正にかけて長堤ちょうていの部分は埋め立てられ現在の地勢ちせいになりました。

 

三重城跡

三重城跡

三重城より那覇港を望む

三重城より那覇港を望む(戦前) - 提供:那覇市歴史博物館

 

下出し述懐節:歌詞

 

里前御船送てさとぅめうにうくてぃ 戻る道すがらむどぅるみちすぃがら

降らぬ夏雨のふらんなつぃぐりぬ 我袖ぬらちわすでぃぬらち

 

愛しい人の船をお見送りして帰る道すがら、

振りもしない夏のにわか雨(涙)が私の袖をらします。

 

早作田節:歌詞

 

いめ着かは里前いめつぃかわさとぅめ 御状持たちたぼれぐじょむたちたぼり

心やすやすとくくるやすぃやすぃとぅ 御待ちしやびらうまちしゃびら

 

愛するお方よ、お着きになったらどうぞお手紙をください。

心穏やかにしてお待ちしております。

 

琉球古典舞踊 女踊り「本花風」 のイラスト

琉球古典舞踊 女踊り「本花風」

 

演目:解説

 

あらまし

本花風むとぅはなふう」は旅立つ人の航海の安全を祈り、別離の悲しみと再会への願いを舞踊化した演目です。

本花風むとぅはなふう」の「むとぅ」は”元祖”、”本来”という意味で、明治28年頃に好評を博した雑踊りぞううどぅい(※1)の「花風はなふう」と区別するために名付けられたとわれています。

花風はなふう」は郭所かくしょ芸妓げいこが藍傘を持って終始やりきれぬ寂寥感せきりょうかんを表現していくのに対して、「本花風むとぅはなふう」は士族の女性がクバおーじ(または団扇うちわ)を持って別れの悲しみをあらわしながら、また再開する日を心待ちわびる内容で描かれています。

 

雑踊りぞううどぅい(※1)

明治16年(1883)頃、琉球芸能が初めて入場料を取って興行こうぎょうがおこなわれて以来、芝居小屋で創作振り付けられた近代の舞踊。

琉球王朝が崩壊した後、歓待芸能を職としていた士族が率いて踊りを披露していました。

 

みどころ

演目は前段「本花風節むとぅはなふうぶし」を軸として、後段の楽曲構成には二通りの型(後述)があります。

本文では「下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし」の型を取り上げて解説していきます。

前段「本花風節むとぅはなふうぶし」の前奏でクバおーじを手に持ち《角切りすみきり※2》で歩み舞台中央で基本立ちし、”三重城にのぼてみぐすぃくにぬぶてぃ”の歌い出しで《思い入れ※3》をおこないます。

打ち招く扇うちまにくあをぅじ”の一節ではクバおーじを二回上下させ、続く”またもめぐり来てまたんみぐりちてぃ”で両手を交差させながら大きく開き、愛するお方の航海の安全と再会を願います。

結ぶ御縁むすぃぶぐいん”の一節ではクバおーじをそっと両手で祈るように挟み、二人のちぎりをあらわします。

後段「下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし」は、”戻る道すがらむどぅるみちすぃがら”の一節で哀調あいちょうを帯びながらあごに手を添え、”我袖ぬらちわすでぃぬらち”の一節では袖をかける所作しょさに自身の涙を夏のにわか雨に映し重ね、思慕深しぼぶかい感情表現を注ぎながら踊りを納めていきます。

 

角切りすみきり※2》

踊り手が舞台を斜めに、下手奥しもておくから上手前かみてまえへ向かって対角線上に歩み出ること。

 

舞台図

舞台図

 

《思い入れ※3》

心に深く思いをそそぎこむ所作。

 

演目の構成

演目は前段「本花風節むとぅはなふうぶし」を軸として、後段の楽曲構成には二通りの型があります。一つは「下出し述懐節さぎんぢゃししゅっくぇーぶし」を組み合わせた渡嘉敷守儀とかしきしゅぎ師の流れを受け継いだ型と、もう一つは「早作田節はいつぃくてんぶし」を組み合わせた渡嘉敷守良とかしきしゅりょう師の流れを受け継いだ型があります。

 

略歴(順不同)

渡嘉敷守儀とかしきしゅぎ1873-1899)
沖縄県那覇市首里に生まれる。
渡嘉敷守良とかしきしゅりょうの兄にあたる。
近代の沖縄演劇の役者であり、歌劇の創作者。
代表する作品に、琉球歌劇の「茶売やあちゃうりやあ」、「主人妻すーんとぅーじ」がある。

渡嘉敷守良とかしきしゅりょう(1880-1953)
沖縄県那覇市首里に生まれる。
御冠船、組踊、古典女踊りの名手。
代表する作品に、時代劇の「今帰仁由来記なきじんゆらいき」がある。

 

古典舞踊の位置づけ

慶応2(1866)年の寅年御冠船とらどしうかんしん(※1)を記録した『踊番組』には、「本花風むとぅはなふう」の原型となる「女踊、団扇」が記録されており、「稲まづん節」の旋律に「本花風節むとぅはなふうぶし」と同一の歌詞で演じられています。

本花風むとぅはなふう」は古典の様式を踏襲とうしゅうしているため、本サイトにおいては古典舞踊(その他)として紹介してます。

 

御冠船(※1)

琉球国王の即位時に、冊封使さっぽうしみんしんの使者)を歓待する祝宴で演じられた諸芸能のことを指します。

皇帝より授けられた冠をたずさえて来航らいこうしたことから「御冠船うかんしん」という名がつき、1404年から1866年の間、計22回おこなわれました。

 

補足

 

クバおーじ

クバはヤシ科の常緑樹じょうりょくじゅで別名ビロウと呼びます。

昔から人々の生活に深く関わり、耐久性や撥水性がよいため生活資材として重宝されてきました。

クバには「高クバ」と「地クバ」があり、「高クバ」は幹が高く伸びて葉も大きく生えるのに対して、「地クバ」は背が低いもので葉も小さく柔らかい性質をもつと言われています。

扇の用途は通常涼むために使われますが、昔は神を招き縁起を担ぐものとして”扇を打ち招く”という意味があったようです。

クバの木は空に向けて高くまっすぐ成長するので、神が天から召される木としてあがめたてまつられてきました。

 

クバの木

クバの木

クバ扇

クバ扇

 

古典音楽

古典音楽のカテゴリーでは、「本花風節むとぅはなふうぶし」、「下出し述懐節さぎんぢゃししゅっくぇーぶし」、「早作田節はいつぃくてんぶし」の曲目について解説しています。

 

三重城跡から眺め
「本花風節」- 古典音楽

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懐古(イメージ)
「述懐節」(二揚調・下出し)- 古典音楽

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花が咲いた木の枝にとまるウグイス
「早作田節」- 古典音楽

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参考文献(沖縄の本)のイメージ画像
参考文献一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...

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