舞踊

「本花風」 - 古典舞踊/女踊り

2020年2月22日

本花風節むとぅはなふうぶし(前段):歌詞

 

三重城に登てみぐすぃくにぬぶてぃ 打ち招く扇うちまにくあをぅじ

またもめぐり来てまたんみぐりちてぃ 結ぶご縁むすぃぶぐいん

 

三重城に登って、(出船)に打ち招く扇は、

再び巡り会うご縁を結ぶためです。

 

下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし(後段):歌詞

 

里前御船送てさとぅめうにうくてぃ 戻る道すがらむどぅるみちすぃがら

降らぬ夏雨のふらんなつぃぐりぬ 我袖ぬらちわすでぃぬらち

 

愛しい人の船をお見送りして帰る道すがら、

夏のにわか雨は降っていないのに、私の袖は(涙で)れています。

 

早作田節はいつぃくてんぶし(後段):歌詞

 

いめ着かは里前いめつぃかわさとぅめ 御状持たちたぼれぐじょむたちたぼり

心やすやすとくくるやすぃやすぃとぅ 御待ちしやびらうまちしゃびら

 

愛しい人よ、お着きになったらお手紙をください。

心穏やかにして、お待ちしおります。

 

クバ扇

クバはヤシ科の常緑樹じょうりょくじゅで別名ビロウと呼びます。

昔から人々の生活と深く関わり、耐久性や撥水性がよいため生活資材として重宝されてきました。

扇の用途は、通常涼むために使われますが、昔は神を招き縁起を担ぐものとして扇を打ち招くという意味があったようです。

また、クバの木は空に向けて高くまっすぐ成長するので、神が天から召される木としてあがめたてまつられてきました。

 

クバの木の画像

クバの木

クバ扇の画像

クバ扇

 

 

本花風の舞踊写真

- 琉球古典舞踊 女踊り「本花風」 -

 

本花風むとぅはなふう」:演目解説

 

あらまし

愛する人の航海の無事を祈り、別離べつりと再会を願う心情を舞踊化した演目になります。

本花風むとぅはなふう」の「むとぅ」は、”元祖、本来”の意味合いをとり、明治28年頃に好評を博した雑踊りぞううどぅいの「花風はなふう」と区別するために名付けられたといわれています。

花風はなふう」は、郭所かくしょ芸妓げいこが藍傘を持って終始やりきれぬ寂寥感せきりょうかんを表現していくのに対して、「本花風むとぅはなふう」は、士族の女性がクバおーじを持って別れの悲しみをあらわしながらも、また再開する日を心待ちわびる内容で描かれています。

 

古典舞踊の位置づけ

慶応けいおう三(1867)年「とら御冠船うかんしん(※1)」の時代に演じられた「本花風むとぅはなふう」の原型が「踊番組(※2)」にしるされています。

演目名は「女踊、団扇」と表記ひょうきされ、「稲まづん節」の一曲に「本花風節むとぅはなふうぶし」の”三重城に登てみぐすぃくにぬぶてぃ 打ち招く扇うちまにくあをぅじ~”と同じ歌詞で構成されています。

現在に伝わる演目も古典の様式を踏襲とうしゅうしているため、本サイトにおいては古典舞踊(その他)として紹介いたします。

 

「御冠船(※1)」

琉球国王の即位時に、冊封使さっぽうしみんしんの使者)を歓待する祝宴で演じられた諸芸能のことを指します。

みんしんの時代の皇帝より授けられた冠をたずさえて来航らいこうしたことから「御冠船うかんしん」という名がつき、1404年から1866年の間、計22回おこなわれました。

 

「踊番組(※1)」

慶応2(1866)年におこなわれた寅年御冠船を記録した文献。(参照:南島採訪記

 

みどころ

演目は、「本花風節むとぅはなふうぶし」を軸として、後段の楽曲構成には二通りの型(後述)がありますが、本文では、「下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし」の型をピックアップして解説していきます。

前段「本花風節むとぅはなふうぶし」の前奏で、クバおーじを手に持ち《角切りすみきり※1》で歩み基本立ちして、”三重城に登てみぐすぃくにぬぶてぃ”の歌い出しで《思い入れ※2》をします。

打ち招く扇うちまにくあをぅじ”の一節よりクバおーじを二回上下させ、”またもめぐり来てまたんみぐりちてぃ”で両手を交差させながら大きく開いて、愛しい人への航海の安全、別離べつりと再会の心境をつづっていきます。

結ぶご縁むすぃぶぐいん”の一節で、クバおーじをそっと両手で祈るように挟み二人のちぎりをあらわします。

後段「下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし」では、”戻る道すがらむどぅるみちすぃがら”の一節で哀調あいちょうを帯びながらあごに手を添え、”我袖ぬらちわすでぃぬらち”の一節でみせる袖をかける振りに、自身の涙を夏のにわか雨に映し重ねて、思慕深しぼぶかい感情表現を注ぎながら踊りを納めていきます。

 

本花風むとぅはなふう」の構成

演目は前段の「本花風節むとぅはなふうぶし」を軸として、後段の楽曲構成には二通りの型があります。一つは「下出し述懐節さぎんじゃししゅっくぇーぶし」を組み合わせた渡嘉敷守儀とかしきしゅぎ師の流れを受け継いだ型と、もう一つは「早作田節はいつぃくてんぶし」を組み合わせた渡嘉敷守良とかしきしゅりょう師の流れを受け継いだ型があります。

また流派によっては、演目の要所に独自の工夫をこらして踊られています。

 

角切りすみきり※2》

踊り手が舞台を斜めに、下手奥しもておくから上手手前かみててまえへ向かって対角線上に歩み出ること。

 

《思い入れ※3》

心に深く思いをそそぎこむ所作。

 

※略歴(順不同)

渡嘉敷守儀とかしきしゅぎ1873-1899)
沖縄県那覇市首里に生まれる。
渡嘉敷守良とかしきしゅりょうの兄にあたる。
近代の沖縄演劇の役者であり、歌劇の創作者。
代表する作品に、琉球歌劇の「茶売やあちゃうりやあ」、「主人妻すーんとぅーじ」がある。

渡嘉敷守良とかしきしゅりょう(1880-1953)
沖縄県那覇市首里に生まれる。
御冠船、組踊、古典女踊りの名手。
代表する作品に、時代劇の「今帰仁由来記なきじんゆらいき」がある。

 

補足

 

「三重城」

沖縄県那覇市にある城砦跡じょうさいあと

琉球王国時代より貿易港として栄えた那覇港の沖合(4つの橋が連なる長堤ちょうていの先)に築かれ、当初は海賊から防衛するための役割を担っていました。

対岸にある屋良座盛築城やらざもりぐしく(1554年)の後に築かれたので、新城とも呼ばれています。

明治から大正にかけて長堤ちょうていの部分は埋め立てられ現在の地勢ちせいになりました。

 

三重城より那覇港を望む画像

三重城より那覇港を望む(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 


 

参考文献(本)のイメージ画像
参考文献:一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。     1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...

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マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
好きな飲み物:葉先のしずく

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