舞踊

「下り口節」 - 古典舞踊/二才踊り

2020年3月17日

下り口説くだいくどぅち:歌詞

1.

さても旅寝のさてぃむたびにぬ 仮枕かいまくら 夢の覚めたるゆみぬさみたる 心地してくくちしてぃ 昨日今日とはちぬうちゅうとぅわ 思へどもうむいどぅむ 最早九十月むはやくじゅうぐゎち なりぬればなりぬりば

2.

やがてお暇やがてぃういとぅま 下されてくださりてぃ 使者の面々ししゃぬみんみん 皆揃てみなするてぃ 弁財天堂びざいてぃんどう 伏し拝でふしをぅがでぃ

3.

いざや御仮屋いざやうかいや 立ち出でてたちいんぢてぃ 滞在の人々てぜぬふぃとぅびとぅ 引き連れてふぃちつぃりてぃ 行屋の浜にてぎょうやぬはまにて 立ち別るたちわかる

4.

名残り惜し気のなぐりをぅしぢぬ 船子どもふなくどぅむ 喜び勇みてゆるくびいさみてぃ 帆揚げぬふをぅあぎぬ 祝いの盃ゆわぇぬさかづぃち 廻る間にみぐるまに

5.

山川港にやまごうんなとぅに 走い入りてはいいりてぃ 船の改めふにぬあらたみ 済んでまたすんでぃまた 錨引き乗せいかいふぃちぬし 真帆引けばまふふぃきば

6.

風や真艫にかじやまとぅむに 子丑の方にうしぬふぁ 佐多の岬もさだぬみさちん 後に見てあとぅにみてぃ 七島渡中もしちとぅとぅなかん 安々とやすぃやすぃとぅ

7.

波路遥かになみぢはるかに 眺むればながむりば 後や先にもあとぅやさちにん 友(伴)船のとぅむふにぬ 帆引き連れてふふぃちつぃりてぃ 走り行くはしりゆく

8.

道の島々みちのしまじま 早や過ぎてはやすぃぢてぃ 伊平屋渡立つ波いひゃどぅたつなみ 押し添いてうしすいてぃ 残波岬もざんぱみさちん はい並ではいならでぃ

9.

あれあれ拝むありありをぅがみ 御城元うしるむとぅ 弁の御嶽もびんぬうたきん 打ち続きうちつぃぢち ”エイえい” 袖を連らねてすでぃゆつぃらにてぃ 諸人のむるふぃとぅぬ 迎えに出でたやんけぇにいでたや 三重城みーぐすぃく

 

1.

旅先でうたた寝していると夢の覚める心地ここちして、(ここに来たのが)昨日今日に思えるが、早くも九、十月になっていた

2.

そのうち(薩摩から)退出のめいを下され、使者の面々が皆揃って弁財天堂べんざいてんどうおが

3.

御仮屋おかりや琉球館りゅうきゅうかん)を立ち去って、滞在していた人々と一緒に行屋の浜ぎょうやのはまにて別れをげる

4.

名残なごりしみつつも船子ふなこ水夫すいふ)達が、喜び勇んで帆をあげる。祝いのさかづきがまわる間に

5.

山川港やまがわこう入港にゅうこうし、船の検査も済んで再び、いかりを引き上げて帆を引くと

6.

風は船尾せんびから北北東の方へ順風に吹き、佐多岬さたみさきも後ろに見て、(難所の)七島しちとう(トカラ列島の島々)を渡るときも安々やすやす

7.

航路をはるかに眺めると、後ろにも前にも伴船ともぶねが帆を引き上げて走っていく

8.

道の島々は早くも過ぎて、伊平屋島いへやじまの荒波を押しえるようにして進み残波岬ざんぱみさきに沿って走る

9.

あれあれ、拝む御城元おしろもと(首里城)に弁ヶ嶽べんがだけも続いて見え、沢山の人々が迎えに来ている三重城みーぐすぃく

 

口説くどぅち

18世紀頃に本土から伝わってきた音楽の形式で、七句と五句を繰り返す七五調しちごちょうのリズミカルなふしまわしに心情しんじょうを述べていきます。(琉歌りゅうかは八八八六調の形式)

 

旅立ちの行程

下り口説くだいくどぅち」の歌詞に出てくる各地名を地図におこしてみました。

下の画像をクリックする(スマホは指で広げる)と拡大表示になります。

また、各名称かくめいしょうの解説も下記の袋綴ふくろとじにまとめましたのであわせてご覧ください。

 

鹿児島県の地図

旅の行程(前半ルート)

鹿児島から沖縄の地図

旅の行程(後半ルート)

 

名称めいしょうなどの詳細を確認する場合は、下記をクリックして開いてください。

詳細を開く(クリック)

弁財天堂

沖縄県那覇市首里当蔵町にあるお堂です。弁財天堂べんざいてんどうが浮かぶ円鑑池えんかんちは、首里城の湧水、雨水が集まる仕組みになっています。
1502年に創建そうけんされ二度の修復を経て現在に至ります。

円鑑池と弁財天堂の画像

円鑑池と弁財天堂(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

御仮屋

現在の鹿児島県鹿児島市小川町にあった琉球王府の出先機関でさききかんです。薩摩藩との貿易拠点を担い、琉球王府から派遣される使節しせつが滞在し一年間の任務にあたりました。

 

行屋の浜

現在の鹿児島県鹿児島市浜町付近にあった浜のことを指しています。この一帯の先に、「琉球人松りゅうきゅうじんまつ」と呼ばれる大きな松があり、入港にゅうこうするときの目印になりました。

天保年間鹿児島城下絵図の画像

天保年間鹿児島城下絵図(琉球館から行屋の浜) - 提供:鹿児島市立美術館

 

山川港

鹿児島県指宿市いぶすきしにある鹿児島湾入口に位置する港です。港は湾曲わんきょくした入江いりえになっており、上空からみると鶴のくちばしにみえることから「鶴の港」と呼ばれ、古くから貿易港として栄えていました。鰹節かつおぶしの生産量が日本一としても知られています。

鹿児島県指宿市にある山川港の画像

山川港 - 提供:指宿鰹節

 

佐多の岬

鹿児島県肝属郡大隅町きもつきぐんおおすみちょうに位置する九州最南端にある岬です。亜熱帯の植物(ソテツ、ビロウなど)が生い茂り、天気の良い日には岬から種子島たねがしま屋久島やくしま眺望ちょうぼうすることができます。

佐多岬の画像

佐多岬

 

七島

トカラ列島に点在している島々です。七島しちとうは、宝島たからじま悪石島あくせきじま諏訪之瀬島すわのせじま平島たいらじま中之島なかのしま臥蛇島がじゃじま口之島くちのしまを指します。東シナ海から流れてくる海流のうねりがあるため、航海の難所とされていました。

七島

七島(トカラ列島)の地図

 

伊平屋

沖縄県島尻郡伊平屋村いへやそん伊平屋伊是名諸島いへやいぜなしょとうに属する島)。沖縄本島の今帰仁村運天港なきじんそんうんてんこうより、41.1kmにある沖縄県最北端の有人島。

伊平屋島の港の画像

伊平屋島の港

 

残波岬

沖縄県中頭郡読谷村字宇座なかがみぐんよみたんそんうざにある岬で、高さ30m~40mの隆起りゅうきした珊瑚礁の断崖絶壁だんがいぜっぺきが約2km続く雄大な景勝地けいしょうちです。

残波岬の画像

残波岬

 

御城門

首里城のことを指します。
那覇港を見下ろす丘陵地きゅうりょうち建造けんぞうされ、琉球王国の政治や文化の中心です。

首里城正殿の画像

首里城正殿

 

弁ヶ嶽

首里城より東方とうほう約1kmに位置する海抜かいばつの高い峰で、航海の目印とされていました。みね全体が御神体ごしんたいとされ、琉球国王の祈願所でもありました。

弁ヶ嶽

弁ヶ嶽・石門(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

三重城

琉球王国時代より貿易港として栄えた那覇港の沖合おきあい(4つの橋が連なる長堤ちょうていの先)にきずかれ、当初は海賊かいぞくから防衛するための役割を担っていました。明治から大正にかけて長堤ちょうていの部分は埋め立てられました。

三重城より那覇港を望む画像

三重城より那覇港を望む(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

屋良座森城

那覇港の入り口に築かれた城砦じょうさいで、対岸にある三重城みーぐすぃくと同様に海賊かいぞくから防衛するための役割を担っていました。戦争によって完全に破壊され、現在は米軍の軍港地として埋め立てられました。

側面から見た屋良座森城の画像

側面から見た屋良座森城(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

下り口説囃子くだいくどぅちばやし:歌詞

 

下り口節囃子くだいくどぅちばやしは、字数が多いため袋綴ふくろとじにしてまとめました。

歌詞を開く(クリック)

1.

さても旅寝のさてぃむたびにぬ 仮枕かいまくら 夢の覚めたるゆみぬさみたる 心地してくくちしてぃ 昨日今日とはちぬうちゅうとぅわ 思へどもうむいどぅむ 最早九十月むはやくじゅうぐゎち なりぬればなりぬりば

囃子はやし(さても旅寝の夢枕 最早や二年なったは 帰る名残か ”サーサ”)

2.

やがてお暇やがてぃういとぅま 下されてくださりてぃ 使者の面々ししゃぬみんみん 皆揃てみなするてぃ 弁財天堂びざいてぃんどう 伏し拝でふしをぅがでぃ

囃子はやし(御慈悲ある世の しるしあらはれ はやはや御暇下され 弁財天堂 参詣すませて 滞在の役々 お暇召しやうち ”サーサ”)

3.

いざや御仮屋いざやうかいや 立ち出でてたちいんぢてぃ 滞在の人々てぜぬふぃとぅびとぅ 引き連れてふぃちつぃりてぃ 行屋の浜にてぎょうやぬはまにて 立ち別るたちわかる

囃子はやし(役々おしつれ 行屋の浜にて 互いに御暇 一礼限りの 袖の別れも 馴れ染め思へば んちゃんちゃ 名残ものさめ ”サーサ”)

4.

名残り惜し気のなぐりをぅしぢぬ 船子どもふなくどぅむ 喜び勇みてゆるくびいさみてぃ 帆揚げぬふをぅあぎぬ 祝いの盃ゆわぇぬさかづぃち 廻る間にみぐるまに

囃子はやし(船子勇みて 真帆引き上げれば 島の名残りに 一杯一杯又一杯 これも んちゃ又 もっともなりけり ”サーサ”)

5.

山川港にやまごうんなとぅに 走い入りてはいいりてぃ 船の改めふにぬあらたみ 済んでまたすんでぃまた 錨引き乗せいかいふぃちぬし 真帆引けばまふふぃきば

囃子はやし(時も移さず 山川参着 船の改め 早や早や済ませて 錨引き乗せ 本帆引上げ いまへの風 ”サーサ”)

6.

風や真艫にかじやまとぅむに 子丑の方にうしぬふぁ 佐多の岬もさだぬみさちん 後に見てあとぅにみてぃ 七島渡中もしちとぅとぅなかん 安々とやすぃやすぃとぅ

囃子はやし(風や丑の方 吹きつめてをれば 船のはり前 飛ぶが如くに 佐多の岬も 後に見なして 七島の灘から 安くも通船 稀なる海上 何れも御果報 ”サーサ”)

7.

波路遥かになみぢはるかに 眺むればながむりば 後や先にもあとぅやさちにん 友(伴)船のとぅむふにぬ 帆引き連れてふふぃちつぃりてぃ 走り行くはしりゆく

囃子はやし(沖の友船 先や後にも 帆引き連れとて 道の島々 早くも過ぎ行き 波も静かに 治まる御代かな ”サーサ”)

8.

道の島々みちのしまじま 早や過ぎてはやすぃぢてぃ 伊平屋渡立つ波いひゃどぅたつなみ 押し添いてうしすいてぃ 残波岬もざんぱみさちん はい並ではいならでぃ

囃子はやし(ここは伊平屋島 かしこは国頭 伊江と本部の 渡中も穏やか 残波岬も廻り廻りて ”サーサ”)

9.

あれあれ拝むありありをぅがみ 御城元うしるむとぅ 弁の御嶽もびんぬうたきん 打ち続きうちつぃぢち ”エイえい” 袖を連らねてすでぃゆつぃらにてぃ 諸人のむるふぃとぅぬ 迎えに出でたやんけぇにいでたや 三重城みーぐすぃく

囃子はやし(あれあれ 御城元から 弁の御嶽も さだかに拝まれ 言ゆる内するうち 那覇港到着 三重城 屋良座 人も賑わい 親子兄弟 通堂迎えて 互いに岩乗 海上安全 首尾よく御帰帆 良い事だやべる 夢か現か 目出度し 目出度し ”サーサ” ”ハイヤ”)

(引用元:「琉球手帖」 - 大道勇 ボーダーインク(2010年))

 

上り口説の舞踊写真

- 琉球古典舞踊 二才踊り「下り口説」 -

 

下り口説くだいくどぅち」:演目解説

 

あらまし

下り口説くだいくどぅち」の「下りくだい」とは、琉球王府の使節が薩摩の公務を終えて帰る旅程りょていを指します。

二才踊りの「上り口説ぬぶいくどぅち」とついをなす演目で、薩摩藩を出発して故郷の那覇港なはこうに入港するまでの様子を描いています。

旅の道中どうちゅう情景じょうけい七五調しちごちょうの「口説くどぅち」で述べ、四拍子のリズムにあわせて手に持つ杖串ちーぐし(※1)をあつかいながら演じられる演目です。

 

杖串ちーぐし(※1)

杖を象徴し、演目の用途によって使い分けができるように短い竹(約60cm)で作られた小道具です。

琉球舞踊や組踊で演じられる道行の場、かたな表象ひょうしょうする所作に用いられます。

 

みどころ

下り口説くだいくどぅち」は、囃子はやし(上記、袋綴ふくろとじ参照)を付け加えた形式で踊られることもありますが本文では省略いたします。

前奏より、杖串ちーぐしを手に持って下手奥しもておくから直線を歩んで登場し、舞台中央で基本立ちになります。

下り口説くだいくどぅち」1番の歌い出しより杖串ちーぐしに振りをつけ、”仮枕かいまくら 夢の覚めたるゆみぬさみたる”で、手を耳もとにえてから前に差し出す一連の振りに、夢瞬ゆめまたたに過ぎ去っていくときの早さをあらわしていきます。

2番”弁財天堂びざいてぃんどう 伏し拝でふしをぅがでぃ”の一節で、両手を広げ膝をついて拝む所作に、薩摩での公務を無事に終えることができた感謝の念と帰りの航海の安全を祈願します。

3番は、いざ旅立ちの日を迎え最後の別れをげる場面を描いていき、続く4番の”帆揚げぬふをぅあぎぬ”で、船の帆をみたてるように両手を広げ、名残なごりしみつつも帰郷ききょうへの喜びをあらわし出発の時を迎えます。

5番では、いよいよ航海に向けた船出の準備をおこない、続く6番”風や真艫にかじやまとぅむに 子丑の方にうしぬふぁ”で、風を描くように両手を左右に振り流し、航海が順調に進行していく様子をあらわしていきます。

7番”波路遥かになみぢはるかに 眺むればながむりば”の一節は、上半身と面使いで徐々に遠のく薩摩の景観に思いをせ、8番では大海原おおうなばら順風満帆じゅんぷうまんぱんに勇ましく突き進む航行こうこうの様子を描いていきます。

最後の9番”御城元うしるむとぅ 弁の御嶽もびんぬうたきん”では、故郷の景観に沿って自身の心中を映し重ね、長い旅路の締めくくりをおめでたい気持ちをもって踊りを納めていきます。

流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。

 

補足

 

楷船かいせん馬艦船まーらんせん

当初、琉球王府は薩摩さつまへ上る時の公用船として楷船かいせんを使用していましたが、貨物を一緒に積載せきさいすると航行こうこうが困難であるため、のちに琉球王府が所有する大型の馬艦船まーらんせんに乗って薩摩へ上るようになりました。

薩摩さつま御用船ごようせんに乗って海を渡っていた時期もあります。

 

楷船の絵図

楷船(拡大表示) - 東京国立博物館

馬艦船(マーラン船)の絵図

馬艦船(拡大表示) - 東京国立博物館

 


 

参考文献(本)のイメージ画像
参考文献:一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。     1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...

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  • この記事を書いた人

マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
好きな飲み物:葉先のしずく

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