下り口説:歌詞
1.
さても旅寝の 仮枕 夢の覚めたる 心地して 昨日今日とは 思へども 最早九十月 なりぬれば
2.
やがてお暇 下されて 使者の面々 皆揃て 弁財天堂 伏し拝で
3.
いざや御仮屋 立ち出でて 滞在の人々 引き連れて 行屋の浜にて 立ち別る
4.
名残り惜し気の 船子ども 喜び勇みて 帆揚げぬ 祝いの盃 廻る間に
5.
山川港に 走い入りて 船の改め 済んでまた 錨引き乗せ 真帆引けば
6.
風や真艫に 子丑の方 佐多の岬も 後に見て 七島渡中も 安々と
7.
波路遥かに 眺むれば 後や先にも 友(伴)船の 帆引き連れて 走り行く
8.
道の島々 早や過ぎて 伊平屋渡立つ波 押し添いて 残波岬も はい並で
9.
あれあれ拝む 御城元 弁の御嶽も 打ち続き ”エイ” 袖を連らねて 諸人の 迎えに出でたや 三重城
訳
1.
旅先でうたた寝していると夢の覚める心地して、(ここに来たのが)昨日今日に思えるが、早くも九、十月になっていた
2.
そのうち(薩摩から)退出の命を下され、使者の面々が皆揃って弁財天堂を拝み
3.
御仮屋(琉球館)を立ち去って、滞在していた人々と一緒に行屋の浜にて別れを告げる
4.
名残を惜しみつつも船子(水夫)達が、喜び勇んで帆をあげる。祝いの盃がまわる間に
5.
山川港に入港し、船の検査も済んで再び、錨を引き上げて帆を引くと
6.
風は船尾から北北東の方へ順風に吹き、佐多岬も後ろに見て、(難所の)七島(トカラ列島の島々)を渡るときも安々と
7.
航路を遥かに眺めると、後ろにも前にも伴船が帆を引き上げて走っていく
8.
道の島々は早くも過ぎて、伊平屋の荒波を押し添えるようにして進み残波岬に沿って走る
9.
あれあれ、拝む御城元(首里城)に弁ヶ嶽も続いて見え、沢山の人々が迎えに来ている三重城
口説
七句と五句を繰り返すリズミカルな七五調に道行の情景を述べていきます。
旅立ちの行程
「下り口説」の歌詞に出てくる各地名を地図におこしました。
下の画像をクリックする(スマホは指で広げる)と拡大表示になります。
また、各名称の解説も下記の袋綴じにまとめましたので併せてご覧ください。
弁財天堂
沖縄県那覇市首里当蔵町にあるお堂。
弁財天堂が浮かぶ円鑑池は首里城の湧水、雨水が集まる仕組みになっている。
1502年に創建され二度の修復を経て現在に至る。
御仮屋
現在の鹿児島県鹿児島市小川町にあった琉球王府の出先機関。
薩摩藩との貿易拠点を担い、琉球王府から派遣される使節が滞在し一年間の任務にあたる。
行屋の浜
現在の鹿児島県鹿児島市浜町付近にあった浜のことを指す。
この一帯の先に「琉球人松」と呼ばれる大きな松があり、入港するときの目印になった。
山川港
鹿児島県指宿市にある鹿児島湾入口に位置する港。
港は湾曲した入江になっており、上空からみると鶴のくちばしにみえることから「鶴の港」と呼ばれ、古くから貿易港として栄える。
鰹節の生産量が日本一としても知られている。
佐多の岬
鹿児島県肝属郡大隅町に位置する九州最南端にある岬。
亜熱帯の植物(ソテツ、ビロウなど)が生い茂り、天気の良い日には岬から種子島、屋久島を眺望することができる。
七島
トカラ列島に点在している島々。
七島は、宝島、悪石島、諏訪之瀬島、平島、中之島、臥蛇島、口之島を指す。
東シナ海から流れてくる海流のうねりがあるため、航海の難所とされていた。
伊平屋
沖縄県島尻郡伊平屋村(伊平屋伊是名諸島に属する島)。
沖縄本島の今帰仁村運天港より、41.1kmにある沖縄県最北端の有人島。
残波岬
沖縄県中頭郡読谷村字宇座にある岬。
高さ30m~40mの隆起した珊瑚礁の断崖絶壁が約2km続く雄大な景勝地。
御城門
首里城のことを指す。
那覇港を見下ろす丘陵地に建造され、琉球王国の政治や文化の中心であった。
弁ヶ嶽
首里城より東方約1kmに位置する海抜の高い峰。
峰全体が御神体とされ、琉球国王の祈願所でもある。
三重城
琉球王国時代より貿易港として栄えた那覇港の沖合(4つの橋が連なる長堤の先)に築かれる。
当初は海賊から防衛するための役割を担う。
明治から大正にかけて長堤の部分は埋め立てられる。
屋良座森城
那覇港の入り口に築かれた城砦で対岸にある三重城と同様に海賊から防衛するための役割を担う。
戦争によって完全に破壊され、現在は米軍の軍港地として埋め立てられる。
演目:解説
あらまし
「下り口説」の「下り」とは琉球王府の使節が薩摩の公務を終えて帰る旅程を指します。
二才踊りの「上り口説」と対をなす演目で、薩摩藩を出発して故郷の那覇港に入港するまでの様子を描いています。
旅の道中の情景を七五調の「口説」で述べ、四拍子のリズムにあわせて手に持つ杖串(※1)をあつかいながら演じていきます。
杖串(※1)
杖を象徴し、演目の用途によって使い分けができるように短い竹(約60cm)で作られた小道具です。
琉球舞踊や組踊で演じられる道行の場、刀を表象する所作に用いられます。
みどころ
「下り口説」は囃子(上記、袋綴じ参照)を付け加えた形式で踊られることもありますが本文では省略いたします。
前奏より、杖串を手に持って下手奥から直線を歩んで登場し、舞台中央で基本立ちになります。
「下り口説」1番の歌い出しより杖串に振りをつけ、”仮枕 夢の覚めたる”で手を耳もとに添えてから前に差し出す一連の振りに、夢瞬く間に過ぎ去っていく時の早さをあらわしていきます。
2番”弁財天堂 伏し拝で”の一節で、両手を広げ膝をついて拝む所作に薩摩での公務を無事に終えることができた感謝の念と帰りの航海の安全を祈願します。
3番はいざ旅立ちの日を迎え最後の別れを告げる場面を描いていき、続く4番の”帆揚げぬ”で船の帆をみたてるように両手を広げ、名残惜しみつつも帰郷への喜びをあらわし出発の時を迎えます。
5番ではいよいよ航海に向けた船出の準備をおこない、続く6番”風や真艫に 子丑の方”で風を描くように両手を左右に振り流し、航海が順調に進行していく様子をあらわしていきます。
7番”波路遥かに 眺むれば”の一節は、上半身と面使いで徐々に遠のく薩摩の景観に思いを馳せ、8番では大海原を順風満帆に勇ましく突き進む航行の様子を描いていきます。
最後の9番”御城元 弁の御嶽も”では、故郷の景観に沿って自身の心中を映し重ね、長い旅路の締めくくりをおめでたい気持ちをもって踊りを納めていきます。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
補足
下り口説囃子:歌詞
1.
さても旅寝の 仮枕 夢の覚めたる 心地して 昨日今日とは 思へども 最早九十月 なりぬれば
囃子(さても旅寝の夢枕 最早や二年なったは 帰る名残か ”サーサ”)
2.
やがてお暇 下されて 使者の面々 皆揃て 弁財天堂 伏し拝で
囃子(御慈悲ある世の しるしあらはれ はやはや御暇下され 弁財天堂 参詣すませて 滞在の役々 お暇召しやうち ”サーサ”)
3.
いざや御仮屋 立ち出でて 滞在の人々 引き連れて 行屋の浜にて 立ち別る
囃子(役々おしつれ 行屋の浜にて 互いに御暇 一礼限りの 袖の別れも 馴れ染め思へば んちゃんちゃ 名残ものさめ ”サーサ”)
4.
名残り惜し気の 船子ども 喜び勇みて 帆揚げぬ 祝いの盃 廻る間に
囃子(船子勇みて 真帆引き上げれば 島の名残りに 一杯一杯又一杯 これも んちゃ又 もっともなりけり ”サーサ”)
5.
山川港に 走い入りて 船の改め 済んでまた 錨引き乗せ 真帆引けば
囃子(時も移さず 山川参着 船の改め 早や早や済ませて 錨引き乗せ 本帆引上げ いまへの風 ”サーサ”)
6.
風や真艫に 子丑の方 佐多の岬も 後に見て 七島渡中も 安々と
囃子(風や丑の方 吹きつめてをれば 船のはり前 飛ぶが如くに 佐多の岬も 後に見なして 七島の灘から 安くも通船 稀なる海上 何れも御果報 ”サーサ”)
7.
波路遥かに 眺むれば 後や先にも 友(伴)船の 帆引き連れて 走り行く
囃子(沖の友船 先や後にも 帆引き連れとて 道の島々 早くも過ぎ行き 波も静かに 治まる御代かな ”サーサ”)
8.
道の島々 早や過ぎて 伊平屋渡立つ波 押し添いて 残波岬も はい並で
囃子(ここは伊平屋島 かしこは国頭 伊江と本部の 渡中も穏やか 残波岬も廻り廻りて ”サーサ”)
9.
あれあれ拝む 御城元 弁の御嶽も 打ち続き ”エイ” 袖を連らねて 諸人の 迎えに出でたや 三重城
囃子(あれあれ 御城元から 弁の御嶽も さだかに拝まれ 言ゆる内するうち 那覇港到着 三重城 屋良座 人も賑わい 親子兄弟 通堂迎えて 互いに岩乗 海上安全 首尾よく御帰帆 良い事だやべる 夢か現か 目出度し 目出度し ”サーサ” ”ハイヤ”)
(引用元:「琉球手帖」 - 大道勇 ボーダーインク(2010年))
楷船、馬艦船
当初、琉球王府は薩摩へ上る時の公用船として楷船を使用していました。
しかし、貨物を一緒に積載すると航行が困難であるため、後に琉球王府が所有する大型の馬艦船に乗って薩摩へ上るようになりました。
※薩摩の御用船に乗って海を渡っていた時期もあります。
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守 ...
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