舞踊

「高平良万歳」 - 古典舞踊/二才踊り

2020年3月22日

高平万才口説たかでーらまんざいくどぅち(第一曲目):歌詞

 

1.

親の仇をうやぬかたちをぅ 討たんてやりうたんてい 万歳姿にまんざいすぃがたに 打ちやつれうちやつぃり 棒と杖とにぼうとぅつぃとぅに 太刀仕込でたちしくでぃ

2.

編笠深くあみがさふかく 顔隠ちかをぅかくち 忍び忍びにしぬびしぬびに 立ち出でてたちいんぢてぃ 村々里々むらむらさとぅざとぅ 越え来ればくいくりば

3.

平良や忍ぶてらやしぬぶ 敵の門てぃちぬむん 兄弟尻目にちょうでぇしりみに 見過してみすぃぐしてぃ 後ろの道にうしるぬみちに 廻り来てみぐりちてぃ

4.

行く末吉のゆくすいゆしぬ 御神にうんかみに 祈る心はいぬるくくるわ 我が敵にわがてぃちに 急ぎ引合わせいすぢふぃちゃわし 賜れてやりたぼりてい

5.

登て社壇にぬぶてぃしゃだんに 願立ててぐゎんたてぃてぃ 真南に向かひてまふぇにんかいてぃ 眺むればながむりば 四方の景色のゆむのちしちぬ 面白やうむしるや

6.

計伊と慶良間のちーとぅきらまぬ 渡中にはとぅなかにわ 海士の釣り船あまぬつぃりぶに 浮きつれてうちつぃりてぃ 沖の鴎とうちぬかむみと 見紛ふやみまごうや それから下りすりからくだい 下り来てくだいちてぃ ”エイえい” 御寺御門にうてぃらぐむんに 立ち寄やりたちゆやい 休む姿ややすぃむすぃがたや 他所知らぬゆすしらん

 

1.

親のかたきを討つために万歳姿まんざいすがたふんし、棒と杖に太刀たちを仕込んで

2.

編笠あみがさを深くかぶって顔を隠し、人目に立たぬように外に出て、いくつもの村や里を越えていくと

3.

平良の敵の門を兄弟横目に見過ごして、後ろの道をまわり道して行く

4.

末吉宮の神様に「敵に早く引き合わせてください」とお祈りする

5.

社壇しゃだんに登り祈願して、南に向かいながめると四方にみえる景色がなんと素晴らしいことよ

6.

慶伊瀬島けいせしま慶良間けらまの沖合には漁師の釣り船がいくつも浮かんでいて、沖のかもめと見間違う。その後、下に降りてお寺の御門に立ち寄り、休んでいる姿は誰も気づかない

 

口説くどぅち

18世紀頃に本土から伝わってきた音楽の形式で、七句と五句を繰り返す七五調しちごちょうのリズミカルなふしまわしに心情しんじょうを述べていきます。(琉歌りゅうかは八八八六調の形式)

 

平良

現在の那覇市首里平良町に位置する高平山たかでーらやま周辺の地名です。

高平山たかでーらやまは、物語上で敵方てきがた高平良御鎖たかでーらうざしの屋敷があった場所として設定されています。

 

末吉宮すえよしぐう

那覇市首里末吉町にある末吉公園の小高い山頂に位置する御宮おみやです。

1456年頃に創建され、別名「社壇しゃだん」とも呼ばれています。

 

首里/末吉宮の画像

末吉宮(戦前) - 提供:那覇歴史博物館

 

慶伊瀬島けいせしま

那覇港より約2kmにある慶良間諸島けらましょとうに属する干瀬ひしです。

別名、チービシ環礁かんしょうと呼ばれており、神山島かみやましまクエフ島くえふじまナガンヌ島ながんぬじまの3つの島から形成されています。

下の画像をクリックする(スマホは指で広げる)と拡大表示になります。

 

慶伊瀬島から慶良間の地図

慶伊瀬島~慶良間の地図

 

萬才かふす節まんざいこーすぃぶし(第二曲目):歌詞

 

万歳かふすやまんざいこーすぃや やんざいかふすややんざいこーすぃや

二月御穂立てにぐゎつぃうふだてぃ 穂祭りやふまつぃりや

 

天より下りのてぃんゆりくだいぬ

何の日取りやなんぬふぃどぅいや 良い日取りゆいふぃどぅい

米や重さりめーやうんぶさい 石や軽さりいしやがっさい

 

天より下りのてぃんゆりくだいぬ

布織り上手のぬぬをぅいじょうじぬ 綾織り男のあやをぅいうとぅくぬ

錦の金襴にしちぬちんらん 唐苧の金襴からをぅぬちんらん

 

男の長者のをぅとぅくぬちょうじゃぬ 荷馬の長者のにうんまぬちょうじゃぬ

荷負ひよはれてにをぅいゆわりてぃ やんざよはれてやんざゆわりてぃ

やんざやんざとやんざやんざとぅ 馬乗て通ればうんまぬてぃとぅりば

 

一段と誉められたいちだんとぅふみらりた 今日も明日も御祝辞よきゆんあちゃんうゆわぇぐとぅゆ

 

万歳講者まんざいこーしぃ行脚講者やんざいこーしぃ、二月実りの穂祭りウマチーは、

天より降りた、何の日取りか良い日取り。(民家をまわって戴いた)米は重くて石は軽い。

天より降りた、上手に仕立てられたあや織りの錦の金襴、唐苧からお(からむし)の金襴を着て、

男の長者ちょうじゃ、荷馬の長者ちょうじゃが、荷負におい(お布施)を祝って行脚あんぎゃ=やんざを祝って「修行、修行」と馬に乗って通れば、

一段と(人々)から誉められた。今日も明日もお祝い事だ。

 

万歳講者まんざいこーすぃ行脚講者やんざいこーすぃ

万歳講者まんざいこーすぃとは、門付芸能かどづけげいのうをおこなう芸人(京太郎ちょんだらー)を指します。

芸人たちは行脚村あんにゃむら(現在の那覇市久場川町の東端)に居住しており、その地名があんぎゃ(あんにゃ)であることから、あんじゃ、やんざいと転訛てんかしていったとの説があります。( 参考:「南島方言史攷」-楽浪書院 伊波普猷(1934年))

また、「琴譜下巻」には「万歳講者節まんざいこーすぃぶし」の名前で、楽曲としても記録が残されています。

 

二月穂祭りにんぐゎちうまちー

旧暦2月におこなわれる麦の豊作を祈願した琉球王国の神事です。

旧暦3月には麦の収穫祭、5月、6月には稲の穂祭りウマチーがおこなわれていました。

 

唐苧(からむし)

学術的には植物の苧麻ちょま(別名:からむし)のことを指します。

 

おほんしゃり節うふんしゃりぶし(第三曲目):歌詞

 

隣の耳切れ鼻切れとぅないぬみみちりはなちり(鼻かけ) ぐぬ引き猫がぐにふぃちみゃーが

目はげ首白鼠にみはぎくびしるうぇんちゅに 荒頸くはれてあらかじくわりてぃ

叫らせおらばせあびらじをぅらばじ 飛のがせ思入りやとぅぬがじうみいりや

 

里一人だうさとぅちゅいどう ”エイえい” 里が物言ひぐらしゃやさとぅがむぬいいぐりしゃや

何に譬るがぬにたてぃるが ”エイえい” ふだのぢやげなやふだぬじゃぎなや

 

隣の耳が切れて鼻が欠け、びっこを引いた猫が、

目をわずらった首の白いねずみに首筋を噛まれて、

叫ぶことも大声をあげることも、飛び上がることもできずに考え込んでいるのは、

あなた一人だけですよ。あなたが物言ものいい暗そうにしているのを、

何にたとえられようか、あやうくだまされるところだ。

 

さいんそる節せんするぶし(第四曲目):歌詞

 

京の小太郎が作たんばいちょうぬくたるがつぃくたんばい 尻ほげ破れ手籠尾ずけてちぃふぎやりてぃるじゅうすぃぎてぃ

板切目貫き乗り来たるいたぢりみーぬちぬいきたる ”みいははとみいふぁふぁとぅしいつやうんつやうんしいつぉんつぉん

やんざいかふすや馬舞者やんざいこーすぃやうんまめーしゃ 猊子舞うた獅子舞うたげーじもうたししもうた

かにあるもの御目かけためかねるむぬうみかきたみ 可笑しやばかりをぅかしゃかばかい

したりがつやうんつやうんしたりがつぉんつぉん やあつやんつやんやあつぉんつぉん

 

京の小太郎が作った、底が抜け破れた手籠に緒を付けて、

板切れに穴を貫き乗って来た。

行脚講者やんざいこーすぃ馬舞者うまめーさー猊子げーじ舞った獅子舞った。

このようものをお見せして、可笑しいことばかりだ。

 

馬舞者うまめーさー

腰に作り馬をつけて踊ります。

 

猊子げーじ

中国より伝来した獅子によく似た伝説上の生物との一説があります。

 

琉球風俗図

琉球風俗図 - 提供:国立国会図書館

 

高平良万歳の舞踊写真

- 琉球古典舞踊 二才踊り「高平良万歳」 -

 

高平良万歳たかでーらまんざい」:演目解説

 

ポイント

高平良万歳たかでーらまんざい」は、琉球王国の国劇である組踊くみうどぅい(※1)「万歳摘討まんざいてぃちうち」の作中にある一場面を琉球舞踊として独立させた演目になります。

編笠をかぶり手には杖串ちーぐし(※1)を持って、「口説くどぅち」の節回ふしまわしにあわせながら兄弟の心情を道中の風景に映し重ね、兄弟が万歳芸人にふんして演じる一連の踊りは、門付芸能かどづけげいのうの要素を取り入れながら琉球芸能独自の表現技法を軸にして構成されています。

 

組踊「万歳敵討」

父親である大謝名おおじゃな比屋ひや高平良御鎖たかでーらうざし闇討やみうちされ、残された兄弟の謝名の子じゃなのしー慶雲ちーうんかたきつために万歳芸人にふんして身を隠しながら旅に出ます。

やがて高平良御鎖たかでーらうざしを見つけ出すと万歳芸を演じながら近づき、最後は敵を討ち取って見事に復讐を果たす内容の物語となっています。

 

組踊「萬歳敵討」の舞台写真

組踊「萬歳敵討」 - 提供:那覇歴史博物館

 

組踊くみうどぅい(※1)

琉球王国時代の1718年に踊奉行おどりぶぎょう(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫たまぐすくちょうくん師により創始された歌舞劇かぶげきです。

台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

みどころ

演目は、「高平万才口説たかでーらまんざいくどぅち」、「萬才かふす節まんざいこーすぃぶし」、「おほんしゃり節うふんしゃりぶし」、「さいんそる節せんするぶし」の四曲で構成されます。

第一曲目「高平万才口説たかでーらまんざいくどぅち」の前奏より、編笠あみがさをかぶり杖串ちーぐし(※1)を手に持って《角切りすみきり※2》で登場し、直線的な手の振りに力強さをあらわし、全体を通して「口説くどぅち」の内容を写実的しゃじつてきに描いていきます。

2番の”編笠深くあみがさふかく 顔隠ちかをぅかくち”の一節で、編笠あみがさに手をえながら歩む所作しょさに旅立ちの決意をあらわし、4番の”祈る心はいぬるくくるわ 我が敵にわがてぃちに”では、これから仇討あだうちいどもうとする決意を《二段バネ※3》の表現技法でアクセントをつけ演目を盛り立てていきます。

第二曲目「萬才かふす節まんざいこーすぃぶし」は、万歳芸人になりすまして素性すじょうを悟られないように敵方てきがたへ向かう場面になります。

手に持つ獅子頭(馬頭)に生命の息吹を吹き込むように両手で巧みに操りながら万歳芸を踊ります。

第三曲目「おほんしゃり節うふんしゃりぶし」は敵方てきがた面前めんぜんに立って踊る場面で、小道具は持たずに身体の動きと手踊りで相手のすきをうかがいながら演じていきます。

ぐぬ引き猫がぐにふぃちみゃーが”と”思入りやうみいりや”の一節で演じる《二段ガマク※4》の所作しょさは、高度な表現技法を必要としこの演目の一つの見所です。

第四曲目「さいんそる節せんするぶし」は、殺気を感じとった高平良御鎖たかでーらうざしがその場から逃れようとしますが、兄弟が行く手をさえぎり、見事に親の仇を討ち取る物語終盤の場面です。

曲調が一転し、早いテンポにのせた一連の振りに気迫をみせ、”みいははとみいふぁふぁとぅしいつやうんつやうんしいつぉんつぉん”と”したりがつやうんつやうんしたりがつぉんつぉん やあつやんつやんやあつぉんつぉん”の囃子はやしでは、躍動感のある春駒はるこまの要素を取り入れながら踊りを納めていきます。

 

杖串ちーぐし(※1)

杖を象徴し、演目の用途によって使い分けができるように短い竹(約60cm)で作られた小道具です。

琉球舞踊や組踊で演じられる道行の場、かたな表象ひょうしょうする所作しょさに用いられます。

 

角切りすみきり※2》

踊り手が舞台を斜めに、下手奥しもておくから上手手前かみててまえへ向かって対角線上に歩み出ること。

 

《二段バネ※3》

両手を引いてから、もう一度大きく引く動作。

 

《二段ガマク※4》

腰を入れてから、もう一度深く腰を入れる動作。

流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。

 

補足

 

門付芸能かどづけげいのう

京太郎ちょんだらーと呼ばれる芸人がお正月やお盆、新築祝いなどで各地の家々をまわり「万歳まんざい」の祝言しゅうげんを唱えたり、「春駒はるこま」や「鳥刺し舞とぅいさしめー」、ふとぅきと呼ばれる人形をたずさえて「人形芝居」を演じてお祝いする芸能をおこなっていました。

また、法事がある時は念仏者にぶんじゃーと呼ばれる芸人が供養の念仏歌を唱えに葬家そうかを訪ねていた記録が残されています。

これらの芸人集団は、島内の家々をまわり芸を演じて日々の生計を立てていましたが、明治期になると社会の変遷へんせんとともに活動がすたれていき、行脚村あんにゃむらにいた人々も離散りさんしました。

現在でも沖縄本島の宜野座村、美里村泡瀬などでその芸能種目が継承されています。

 


 

参考文献(本)のイメージ画像
参考文献:一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。     1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...

続きを見る

 

  • この記事を書いた人

マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
好きな飲み物:葉先のしずく

-舞踊
-,

Copyright© マブイ , 2020 All Rights Reserved.