工工四
歌詞
誰ようらめとて なきゆが浜千鳥
あはぬつれなさや わ身もともに
訳
誰を恨めしく思って鳴いているのか浜千鳥よ。
逢えぬつれなさは私も同じだよ。
浜千鳥
浜辺にいる小鳥(千鳥)を指し、学術上ではチドリ目の科を総称しています。浜辺、干潟、河川、湿地の水辺や草原などの野山に生息する渡り鳥で、”千”の名に由来して多数で群れをなし生活することから千鳥と呼ばれています(または”チ”という鳴き声から由来)。沖縄に飛来し生息するチドリ目の鳥には、沖縄で繁殖するシロチドリをはじめ、ムナグロ、ダイゼン、コチドリ、メダイチドリ、他複数の種類が確認されています。
解説
「子持節」は浜千鳥の哀調ある鳴き声に、悲しみに果てる自身の心象風景を映し重ねて詠まれた歌曲です。
歌詞の解釈は諸説あり、大里真謝という名の人物が我が子を亡くした悲しみを詠った作品であると云われています。
一方で、『標音・評釈琉歌全集/武蔵野書院版』では失恋の悲しみを詠った作品であると紹介されています。
組踊(※1)「女物狂」では、我が子を人さらいに誘拐された母親が悲嘆しながらさまよい歩く場面で「子持節」が演奏されます。
この他にも「銘苅子」をはじめ、数十演目に及ぶ組踊の演奏曲に構成されており、主に悲嘆する場面において効果的に演奏されています。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
略歴
■玉城朝薫(1684年-1734年)
首里儀保村に生まれる。
琉球王国の官僚で冊封式典の踊奉行を務める。国劇である組踊の創始者であり、多くの芸術作品を生み出す。
「二童敵討」、「執心鐘入」、「銘苅子」、「孝行の巻」、「女物狂」を朝薫五番と称す。
補足
逸話
「子持節」には一つの逸話が語り継がれています。
琉球王府の楽師を務めた知念績高が同僚と共に大里村に住む「子持節」の名人を訪ねた。
訪問したことを告げて座敷に上がったまではよかったが、それっきり家の主人は一向に出てこない。
夕闇が迫ってきたが「子持節」を聴かずして帰る訳にもいかず、とうとう夜が更けるまで耐え忍んで待っていた。
すると、どこかへ出掛けていた家の主人がようやく帰ってきて、お詫びをしてからまた奥へ隠れてしまった。
二人が訝しげにしていると、奥座敷から「子持節」が聴こえてきた。
流れる旋律には心に染みるような悲嘆な想いが押し迫り、思わず涙を絞った。
この家の主人は三人の息子を次々に失い、独り淋しく暮らしていたそうである。
今日、二人の来意を聞くや悲しみが新たになり、耐え切れずに息子の墓参りをおこなってきたのである。
墓前に祈りを捧げたことで、歌曲の情が真に迫ってきたのである。
参考:『ふるさとの歌』与那覇政牛
略歴
■知念績高(1761-1828)
沖縄県那覇市首里桃原町に生まれる。
湛水流の奥平朝昌に師事し、その後、屋嘉比朝寄の「当流」を豊原朝典より学ぶ。
のちに屋嘉比工工四(117曲)に46曲を追加し、芭蕉紙工工四を完成させる。
弟子には、安冨祖流を創設した安冨祖正元や野村流を創設した野村安趙がいる。
二回にわたり琉球王府の楽師を務めた。
独唱曲(一人節)
「子持節」は中弦を一音上げる二揚調(調弦法)で演奏され、この情感ある曲想を「情節」と称し、琉球古典音楽では「干瀬節」、「散山節」、「仲風節」、「述懐節」と共に独唱曲として愛唱されてきました。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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