稲まづん節(前段):歌詞
今年毛作りや あん美らさゆかて
倉に積み余ら 真積みしやべら
訳
今年の作物はみごとな出来栄えで、
倉に積み余るので外に真積みしましょう。
稲真積み
収穫の季節、臨時的につくる稲の貯蔵法。
土台石を基礎に部材を架けたあと、束にしておいた稲の穂先を内にし円形にならべて段々と積み上げ、最後に上部を藁で葺く積み方のことを指します。
日本各地に分布してみられる貯蔵法ですが、地域によって名前が異なります。

稲積(にほ) - 画像提供:PIXTA
※沖縄の「稲真積み」に関する写真資料が見つからないため、同じ稲の積み方をとっている他県の稲積(にほ)を参考画像として掲載しています。
早作田節(後段):歌詞
銀臼なかへ 黄金軸立てて
試し摺り増する 雪の真米
訳
銀の臼に黄金の軸を立てて、
試しに摺ってみると、たくさん雪のような白い米がとれました。
「稲まづん」:演目解説
あらまし
現代の農業技術と比べると、昔は農作物を育てることが容易ではなかったため、五穀(※1)のなかでも特に稲作においては国をあげて生育を見守ってきた歴史があります。
そのような時代背景から、稲の豊作はすべての人々の願いであり、かえがたい喜びでもありました。
演目は稲穂を手に持って、今年の五穀豊穣を祝い、そして将来に向けた世果報(※2)をお祈りする祝儀舞踊です。
五穀(※1)
地域や時代によって異なりますが、5種類の穀物(主に米(稲)、麦、粟、豆、黍、もしくは稗)を総称します。
また、沖縄では芋を五穀にあげる地域も存在するようです。
世果報(※2)
古来からの信仰である弥勒世果報の言い伝えで、弥勒様がもたらす穏やかで平和な世の中、幸福で実り豊かな世の中などをあらわします。
みどころ
演目は、「稲まづん節」と「早作田節」の二曲で構成されます。
前段「稲まづん節」の前奏より舞台下手奥から上手奥へ歩み、舞台正面で基本立ちになります。
”今年もづくりや”の歌い出しで、手に持つ稲に豊作への感謝の気持ちをあらわし、”倉に積み余ら”の一節では、稲穂に手を添える所作に実り豊かな収穫の様子を映し重ねていきます。
後段「早作田節」の軽やかなテンポにのせて万民のよろこびを表現し、手に持つ稲穂の振りにあわせながらもう片方の手の振りで踊りの一体感をあらわし、手の《こねり※3》と身体の《なより※4》をともないながら展開していきます。
”雪の真米”の一節では、稲穂をそっと支えるように踊り、おおらかに豊作のよろこびを描きながら踊りを納めていきます。
《こねり※3》
手をやわらかくまわす動き。
《なより※4》
身体全体をしなやかにやわらかく動かす身体技法。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
補足
「稲まづん」の歴史
「稲まづん」は稲穂の小道具を持って踊りますが、昔は団扇を持って踊っていたこともあるため別名「団扇踊り」とも呼ばれていたようです。
「稲まづん節」は、屋嘉比工工四(※4)に「昔御前風節」とあり、御冠船の楽師を務めた知念績高により、御前風が組み替えられるまでは国王の御前で演奏されていた楽曲であったようです。
屋嘉比工工四(※4)
琉球音楽家の屋嘉比朝寄(1716-1775)によって編み出された記譜法により創案された、現存する最も古い三線楽譜です。(117曲編纂)
※略歴
■知念績高(1761-1828)
沖縄県那覇市首里桃原町に生まれる。
湛水流の奥平朝昌に師事し、その後、屋嘉比朝寄の「当流」を豊原朝典より学ぶ。
のちに屋嘉比工工四(117曲)に46曲を追加し、芭蕉紙工工四を完成させる。
弟子には、安冨祖流を創設した安冨祖正元や野村流を創設した野村安趙がいる。
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参考文献:一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。 1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...
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