古典舞踊

「女特牛節」 - 古典舞踊/女踊り

特牛節(こてい節):歌詞

 

御慈悲ある故どぐじふぃあるゆいどぅ 御万人のまぎりうまんちゅぬまじり

上下も揃てかみしむんするてぃ 仰ぎ拝むあうじをぅがむ

 

御慈悲ごじひある国王様であるが故に、万人(誰もが)そろって

上も下も揃ってあおおがむのです。

 

琉球古典舞踊  女踊り「女特牛節」のイラスト

琉球古典舞踊  女踊り「女特牛節」

 

演目:解説

 

あらまし

女特牛節いなぐくてぃぶし(こてい節)」は琉球王国の国劇である組踊(※1)「忠孝婦人ちゅうこうふじん大川敵討うーかーてぃちうち)」の作中にある「ただしの場」において、大きな按司団扇あじうちわ(軍配)をもって踊る一場面を琉球舞踊として出入りを整え独立させた演目になります。

組踊くみうどぅいでは敵の言動を巧みにかわしながら女性の品性と色香を使い、上手先かみてさきしている悪按司あじ谷茶たんちゃの前で気を引き寄せて演じられる踊りですが、琉球舞踊の演目はおめでたい賛美歌の内容にあわせて晴れやかな思いを表現する祝儀舞踊しゅうぎぶようとなっています。

 

組踊「忠孝婦人(大川敵討)」

人望のあった大川の按司あじ(※2)が谷茶たんちゃ按司あじの策略によって自陣を攻め入られ討たれてしまいます。

忠臣ちゅうしん村原之比屋むらばるのひやと妻の乙樽うとぅだるは主君のかたきと捕虜になった若按司わかあじ(若君)を救い出すために敵陣へ潜入する計画を立てます。

乙樽うとぅだるは乳母(子守り)になりすまして谷茶たんちゃ按司あじに近づき、物語の見せ場である「糺しの場」を迎えます。

乙樽うとぅだるを心配した村原之比屋むらばるのひやは商人を装い、散り散りになっていた臣下を集め敵陣へ一挙いっきょに攻め入ります。

最後は谷茶たんちゃ按司あじを見事に討ち取り、乙樽うとぅだる若按司わかあじ(若君)を救い出して物語の幕を閉じます。

糺しの場

谷茶たんちゃ按司あじの愚かさと乙樽うとぅだるのしたたかさが徐々に浮き彫りになっていく様子が展開されていきます。

おとりになって尋問じんもんを受ける乙樽うとぅだると敵方の心理的かけひきが絶妙なで繰り広げられ、場の最後にひと差し舞う「女特牛節いなぐくてぃぶし」をもって見事に谷茶たんちゃ按司あじの心をつかむことに成功します。

ただしの場」

真偽や事実を問い調べる場という意味から本文では”尋問じんもん”と示す。

 

称号しょうごう位階いかい

15世紀頃より、琉球王府りゅうきゅうおうふ位階いかい制度と呼ばれる身分の序列じょれつを制定し、18世紀になると「九品十八階」の制度が確立されました。

按司あじは国王の親族に位置する特権階級で、若按司わかあじ按司あじにあたります。

各地域を領地として与えられ、自陣じじんの領地の名をとって家名にするならわしでありました。

王族の「按司あじ」、「若按司わかあじ」は最上位に位置しますが「九品十八階」には含まれないため、「大主うふぬし」が最も上の位階いかいに位置し、「しー」は一般士族の品外となります。

当時は、身に着ける冠(ハチマチ)やかんざし(ジーファー)の色や素材によって等級、身分を区別していました。

 

組踊くみうどぅい(※1)

1718年に踊奉行おどりぶぎょう(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫たまぐすくちょうくんにより創始された歌舞劇かぶげきです。

台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

大川の按司あじ(※2)

「大川」の名は現在の沖縄県うるま市に流れる「天願川てんがんがわ」が古くより”大川”と呼ばれていたことから、川沿いに点在していたお城のいずれかが「大川摘討うーかーてぃちうち」のモデルになったのではないかと考察します。

また、自陣の領地の名をとって家名にする習わしであったことから「大川の按司あじ」と呼ばれています。

 

みどころ

組踊くみうどぅいの一場面を抜粋した演目であることから、他の古典舞踊女踊りでみられる「出羽んじふぁ中踊りなかうどぅい入羽いりふぁ」の部立てがなく「特牛節くてぃぶし(こてい節)」の一曲で演目が構成されます。

大きな按司団扇あじうちわ(軍配)を手に持ち、「特牛節くてぃぶし(こてい節)」の前奏にあわせて舞台下手奥しもておくから上手奥かみておくへ向かって直線を歩み、”御慈悲ある故どぐじふぃあるゆいどぅ”の歌い出しより団扇うちわを品よくあつかいながら演じていきます。

御万人のまぎりうまんちゅぬまじり”の一節で大衆たいしゅうを見渡すように団扇うちわを左右にあおぎます。

上下も揃てかみしむんするてぃ”の一節では斜め上下に大きくあおぎ思い晴れやかに太平の世を寿ことほぎ、演目終盤の囃子はやしでは団扇うちわと手の動きの一連の美しい振りもって踊りを納めていきます。

流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。

 

出羽んじふぁ中踊りなかうどぅい入羽いりふぁ

出羽んじふぁは踊り手が登場する出の踊り。中踊りなかうどぅいは舞台中央奥で立ち直りをしたあとの本踊りを指し、入羽いりふぁは舞台下手奥しもておくに戻っていく納めの踊りのことを指します。

琉球古典舞踊の基本構成は、この三部のつながりで成り立っています。

 

舞台図

舞台図

 

補足

 

演目の創作背景

女特牛節いなぐくてぃぶし(こてい節)」が組踊から独立して演じられた経緯については、真境名由康まじきなゆうこう師の談によると「大正6、7年頃の首里町端にあった中山演技場ちゅうざんえんぎじょうでおこなわれた「久志の若按司くしのわかあじ」の公演の際、女踊りを得意としていた屋我良勝やがりょうしょう師の出番がなかったことに対して、出演を待ち望んでいた熱心なファンからの要望があり、それに応える形で急遽、屋我良勝やがりょうしょう師が「大川摘討うーかーてぃちうち」の乙樽うとぅだるの踊りを演じられたことが一つのきっかけである」との説があります。

その他の説には、「女特牛節いなぐくてぃぶし(こてい節)」の原型となる踊りは「大川摘討うーかーてぃちうち」がつくられる以前から存在していたのではないかといった説もあります。

 

※略歴

真境名由康まじきなゆうこう(1889-1982)
沖縄県那覇市に生まれる。
琉球芸能役者、舞踊家、眞境名本流眞薫会初代家元、国指定重要無形文化財「組踊くみうどぅい」保持者。
戦後の沖縄伝統芸能の復興、継承発展に大きく寄与し、珊瑚座さんござの結成をはじめ、往年に渡り活躍される。
代表する作品に、創作舞踊の「渡ん地舟(ワタンジャー)」、「糸満乙女」、「初春」、組踊の「金武寺の虎千代」、「人盗人」、「雪払い」、歌劇の「伊江島ハンドー小」がある。

 

古典音楽

古典音楽のカテゴリーでは、「特牛節くてぃぶし(こてい節)」の曲目について解説しています。

 

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「特牛節」- 古典音楽

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参考文献(沖縄の本)のイメージ画像
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