舞踊

「女特牛節(こてい節)」 - 古典舞踊/女踊り

2020年1月28日

特牛節くてぃぶし:歌詞

 

御慈悲ある故どぐじふぃあるゆいどぅ 御万人のまぎりうまんちゅぬまじり

上下も揃てかみしむんするてぃ 仰ぎ拝むあうじをぅがむ

 

御慈悲ごじひある御代おんだいであるが故に、すべての人々が区別なく

上下揃ってあおおがむことができます。

 

女特牛節の舞踊写真

- 琉球古典舞踊  女踊り「女特牛節」-

 

「女特牛節」:演目解説

 

あらまし

女特牛節いなぐくてぃぶし」は、琉球王国の国劇である組踊(※1)「大川摘討うーかーてぃちうち」の作中にある「ただしの場」において、大きな按司団扇あじうちわ(軍配)をもって踊る一場面を琉球舞踊として出入りを整え独立させた演目になります。

組踊くみうどぅいでは、敵の言動を巧みにかわしながら女性の品性と色香を使い、上手先かみてさきしている悪按司あじ谷茶たんちゃの前で、気を引き寄せて演じられる踊りですが、琉球舞踊の演目はおめでたい賛美歌の内容にあわせて晴れやかな思いを表現する祝儀舞踊しゅうぎぶようとなっています。

 

組踊「大川摘討」

人望のあった大川の按司あじ(※2)が谷茶たんちゃ按司あじに滅ぼされてしまい、自陣のお城を奪われ捕虜になった若按司わかあじを救出し主君しゅくんかたきつために、忠臣ちゅうしんであった村原之比屋むらばるのひやと妻の乙樽うとぅだるおとりになって敵陣に乗り込み戦いに挑む内容となっています。

糺しの場

谷茶たんちゃ按司あじの愚かさと乙樽うとぅだるのしたたかさが徐々に浮き彫りになっていく様子が展開されていくストーリーになっています。

おとりになって尋問じんもんを受ける乙樽うとぅだると、対する敵方の心理的かけひきが絶妙なで繰り広げられ、場の最後にひと差し舞う「女特牛節いなぐくてぃぶし」をもって見事に谷茶たんちゃ按司あじの心をつかむことに成功します。

※「ただしの場」の語源は、”真偽や事実を問い調べる場”という意味から、本文では”尋問じんもん”と示しました。

 

組踊くみうどぅい(※1)

琉球王国時代の1718年に踊奉行おどりぶぎょう(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫たまぐすくちょうくん師により創始された歌舞劇かぶげきです。

台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

大川按司あじ(※2)

按司あじは国王の親族に位置する特権階級で、各地域を領地として与えられていました。

自陣の領地の名をとって家名にする習わしであったことから、「大川按司」と呼ばれています。

また、「大川」の名は現在の沖縄県うるま市に流れる「天願川てんがんがわ」のことを指しているのではないかと推測します。

天願川てんがんがわ」は河川延長 13.3 ㎞・流域面積 30.96 平方㎞・最大幅員 49mでうるま市山城に源を発し、金武湾に注ぐ2級河川で別名「大川」と呼ばれています。

川はお城を守るほりの役割を果たしていたため、「天願川てんがんがわ(大川)」沿いに点在していたお城のいずれかがが「大川摘討うーかーてぃちうち」のモデルになったのではないかと考察します。

ただし、確証性のある資料がみつからないため推測の域を越えません。

 

みどころ

組踊くみうどぅいの一場面を抜粋した演目であることから、他の古典舞踊女踊りでみられる「出羽んじふぁ中踊りなかうどぅい入羽いりふぁ」の部立てがなく「特牛節くてぃぶし」の一曲で演目が構成されます。

大きな按司団扇あじうちわ(軍配)を手に持ち、「特牛節くてぃぶし」の前奏にあわせて舞台下手奥しもておくから上手奥かみておくへ向かって直線を歩み、”御慈悲ある故どぐじふぃあるゆいどぅ”の歌い出しより、団扇うちわを品よくあつかいながら踊りはじめます。

御万人のまぎりうまんちゅぬまじり”の一節で、大衆たいしゅうを見渡すように団扇うちわを左右にあおぎ、次に”上下も揃てかみしむんするてぃ”の一節では、斜め上下に大きくあおいで思い晴れやかに描いていきます。

演目終盤の囃子はやしでは団扇うちわを持った手の動きともう片方の手の動きがあわさり、一連の美しい振りもって踊りを納めていきます。

 

出羽んじふぁ中踊りなかうどぅい入羽いりふぁ

出羽んじふぁは踊り手が登場する出の踊り。中踊りなかうどぅいは舞台中央奥で立ち直りをしたあとの本踊りを指し、入羽いりふぁは舞台下手奥しもておくに戻っていく納めの踊りのことを指します。

琉球古典舞踊の基本構成は、この三部のつながりで成り立っています。

流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。

 

補足

 

女特牛節いなぐくてぃぶし」の創作背景

女特牛節いなぐくてぃぶし」が、組踊から独立して演じられた経緯について真境名由康まじきなゆうこう師(※4)の談によると、「大正6、7年頃の首里町端にあった中山演技場ちゅうざんえんぎじょうでおこなわれた「久志の若按司くしのわかあじ」の公演の際、女踊りを得意としていた屋我良勝やがりょうしょう師の出番がなかったことに対して、出演を待ち望んでいた熱心なファンからの要望があり、それに応える形で急遽、屋我良勝やがりょうしょう師が「大川摘討うーかーてぃちうち」の乙樽うとぅだるの踊りを演じられたことが一つのきっかけである」との説があります。

 

他諸説ほかしょせつあり

女特牛節いなぐくてぃぶし」の原型となる踊りは、「大川摘討うーかーてぃちうち」がつくられる以前から存在していたのではないかとの説もあります。(以下省略)

(参照 :『 組踊の作者は正しく伝えられたか』)

 

※略歴

真境名由康まじきなゆうこう(1889-1982)
沖縄県那覇市に生まれる。
琉球芸能役者、舞踊家、眞境名本流眞薫会初代家元、国指定重要無形文化財「組踊くみうどぅい」保持者。
戦後の沖縄伝統芸能の復興、継承発展に大きく寄与し、珊瑚座さんござの結成をはじめ、往年に渡り活躍される。
代表する作品に、創作舞踊の「渡ん地舟(ワタンジャー)」、「糸満乙女」、「初春」、組踊の「金武寺の虎千代」、「人盗人」、「雪払い」、歌劇の「伊江島ハンドー小」がある。

 


 

参考文献(本)のイメージ画像
参考文献:一覧

書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において、参考にした全ての文献をご紹介します。     1.『定本 琉球国由来記』 著者:外間 守善、波 ...

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マブイ

ニライカナイから遊びにやってきた精霊。
伝統芸能の継承と発展を見守りつづけています。

好きな食べ物:苔
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