天川節:歌詞
天川の池に 遊ぶおしどりの
思羽の契り よそや知らぬ
訳
天川の池にいる仲睦まじいおしどりのように、
わたしたちが深く思いあい、契りを交わしたことをまだ誰も知りません。
仲順節:歌詞
別れても互に 御縁あてからや
糸に貫く花の 切りて離きゆめ
訳
別れることがあってもご縁があるからには、
糸で貫きとめた通した花のように二人が離れ離れになることはないでしょう。
演目:解説
あらまし
「天川」は男女二人の結びつきを天川の池で仲睦まじく泳いでいるおしどりに映し重ね、鷹揚と慈愛のある巧みな振りと面づかいで表現した演目です。
前半は互いに結びあった縁を通して慕いあい、後半は別れを連想した言葉に男女の情愛の深さをあらわす内容で構成されています。
みどころ
前段「天川節」の前奏にあわせて《角切り※1》で歩み基本立ちになると、”天川の池に”の歌い出しで着物のすそを両手であげて水場にいる状態を描きます。
続く”ヒヤ テント テント”の囃子では《こねり※2》を入れながら交互に片足を出してオシドリの姿を写実的にあらわします。
また、”遊ぶ鴛鴦の”の一節に続く”ヒヤ テント テント”の囃子も見所の一つで上体を《なより※3》、前へ歩みながら足で調子をとって演目を色付けしていきます。
”思ひ羽の契り”の一節では膝をつき両手を右左にはらう所作や、《指組※4》の手の振りに互いに結びあった縁を慕いあいます。
後段「仲順節」の”糸に貫く花の”の一節で胸に両手を交差させて、愛しい人へ契りを交わす所作は観る者の心を奪います。
続く”クリンデヨウ ウミサトヨ”の囃子では、右手をあげて上手先を振り返り、淑やかに愛の余情を残しながら踊りを納めていきます。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
《角切り※1》
踊り手が舞台を斜めに、下手奥から上手前へ向かって対角線上に歩み出ること。
《こねり※2》
手首をやわらかく、手のひらをこねるようにした動き。古来から伝わる祭祀舞踊の技法。
《なより※3》
身体全体をなよやか(柔らかに)動かす仕草。古来から伝わる祭祀舞踊の技法。
《指組※4》
両手の指を重ね合わせて組む手踊りの技法。
補足
天川の池
「天川節」の上句に出てくる”天川の池”は、現在の中頭郡嘉手納町 に流れる比謝川の下流付近を指し、国道58号線と比謝川が交差する辺りに《天川の池の碑》が建てられています。
歌碑に設けられている石板には、名称の由来が記されています。
比謝橋を渡り、那覇へ向かってまっすぐ行くと戦前まで石を敷き詰めた幅一間程の坂道があり、俗に天川坂(天川ビラ)と言った。
その登り口の東側、カシタ山のふもとのンブカーの西隣に、直径二尺くらいの円筒形に積み上げられた井戸が天川「天井戸(アマカー)」と言われた。
このあたりは、樹木がうっそうと繁茂し、その側を流れる比謝川で遊浴する雌雄のおしどりを見て、比謝川と天川井戸を結び付けて、約四百五十年前、赤犬子が上記の歌を詠まれたものと思われる。
(沖縄県文化財調査報告)(嘉手納町史民俗資料編)
平成8年8月30日 建立
略歴
■赤犬子(15世紀頃)
※古謡や琉歌に名前が残されているが実在について記録された文献はなく、伝説上の人物として語られている。
三線音楽の始祖とされ、尚真王の時代(在位:1477年~1526年)に琉球王朝の三線弾き(音楽家)の役職にあったとされる。
赤犬子が晩年を過ごした読谷村楚辺に功績を讃えた赤犬子宮が建てられ、毎年旧暦の9月に例祭がおこなわれている。
古典音楽
古典音楽のカテゴリーでは、「天川節」、「仲順節」の曲目について解説しています。
「天川節」- 古典音楽
工工四 印刷・保存 【工工四について】 歌詞 天川の池にあまかわぬいちに 遊ぶおしどりのあすぃぶうしどぅいぬ 思羽の契りうむいばぬちぢり よそや知らぬゆすやしらん &nbs ...
続きを見る
「仲順節」- 古典音楽
工工四 印刷・保存 【工工四について】 歌詞 別れても互にわかりてぃんたげに 御縁あてからやぐゐんあてぃからや 糸に貫く花のいとぅにぬくはなぬ 散りてぬきゆみちりてぃぬちゅ ...
続きを見る
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
続きを見る