古典音楽

「崎山節」- 古典音楽

工工四

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歌詞

 

崎山よさちやまゆ 新村よあらむらゆ 立てたすたてぃたす

たるの主のたるぬしゅぬ づれの親のじりぬうやぬ たてたねたてぃたに

 

崎山という新しい村を創建したのは、

何という役人が建てたのであろうか。

崎山さちやま

  • 崎山村 = かつて西表島いりおもてじまの西端に位置した集落。1948年頃に廃村となっている。

たるたる

  • どの人
  • 何者

づれじり

  • 何某なにがし
  • 誰それ
  • どなた

※上記の”たるたる”と似たような意味合いを持つ語句。

しゅうや

※二つの語句は八重山諸島を管轄かんかつする蔵元くらもと(地方行政)の役人のことを指していると思われる。はっきりしたことは定かではないので、上記の訳では二つをまとめて「役人」としたが"しゅ”は村の統治責任者である「与人ゆんちゅ」を指し、”うや"は蔵元くらもとの最高責任者である「首里大屋子しゅりおおやこ」の頭職を指すのではないかと考察する。

 

解説

崎山節さちやまぶし」は強制移住の苦しみや離れ離れに暮らす故郷の家族に寄せた郷愁きょうしゅうの念をみ込んだ歌曲であるとされています。

かつて琉球王府が徴収する過酷な人頭税じんとうぜい(税金)を工面するため、波照間島はてるまじまに暮らす人々は西表島いりおもてじまの西端に位置する崎山地区へ強制移住を命じられた過去があります。

原生林が覆う未開拓の土地で新しく村を一から築き上げ、水田を開墾かいこんし、稲作を中心とした農業で生活を営んでいたそうです。

しかし、現地で流行したマラリアや過酷な重労働によって人口が減り続けたこともあり、1948年に廃村となりました。

 

西表島(空撮)

西表島(空撮)

西表島の原生林

西表島の原生林

 

補足

 

原歌

強制移住を命ぜられ悲しみに暮れる一人の老婆が即興で作った歌が「崎山ユンタ」(※1)であり、当時、崎山村の与人ゆんちゅ(統治責任者)がこの歌を元にして作った曲が「崎山節さちやまぶし」であるとわれています。

現地の方の話では、この二つのは楽曲は同じ言葉(歌詞)で歌っていたそうです。参考:『崎山節のふるさと/おきなわ文庫』

 

ユンタゆんた(※1)

八重山諸島に伝わる歌謡の一種で、労働歌を中心に歌い継がれています。

名前の由来は「読み歌」もしくは「結い歌」が転訛てんかしたものとわれています。

 

崎山ユンタ(崎山節・八重山民謡)

1.

崎山のさきやまぬ 新村よあらむらゆ 立てだそたてぃだそ

2.

何の故なんぬゆい 如何のつにやんどいきゃぬちにゃんどぅ 立てたねたてぃだね

3.

野浜ふつぃぬばまふち 兼久地のかにくづぃぬ ゆやんどゆやんどぅ

4.

波照間のぱてぃるまぬ 下八重山のしむやいまぬ 内からうちから

5.

女子百みどぅなむむ 男子八十びふなやす 分ぎらればぎらり

6.

誰ど誰たるどぅたる 何ど何でじりどぅじりでぃ 思だらうむだら

7.

我ぬどばんどぅ 我ぬくりどくりばんくりどぅくり 分ぎらればぎらり

 

歌詞が23番まであるため、あらすじが読める前半部を抜粋しています。

 

1.

崎山という新しい村を創建したのは

2.

どのような如何いかなる理由で建てたのだろうか

3.

ヌバンの入江には砂地があるためか

4.

波照間島の下八重山の中から

5.

女は200人、男は80人に分けられ

6.

誰と誰が選ばれるかと思っていたら

7.

私自身が分けられてしまった

野浜ふつぃぬばまふち

  • 西表島いりおもてじまの西端に位置するパイミ崎より東側にある海浜。「ヌバン」という名称で呼ばれている。

兼久地かにくづぃ

  • 海浜の砂地

 


 

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