工工四
歌詞
伊野波の石こびれ 無蔵つれてのぼる
にやへも石こびれ 遠さはあらな
訳
伊野波の石混じりの小坂を愛しい女性と一緒に登ると、
もっとこの坂が遠くまで続いてほしいと思うものである。
伊野波
- 現在の国頭郡本部町伊野波にあたる地名。港に続く入り江で、かつては停泊地としての賑わいをみせていた。
石こびれ
- 石混じりの小坂
- 石ころ小道の坂
無蔵
- 男性が思いを寄せる女性に対して使う言葉。女性が思いを寄せる男性に対して使うときは「里」と呼ぶ。
にやへも
- もっと
あらな
- ~であってほしい
解説
「伊野波節」は国頭郡本部町伊野波が発祥の地で、伊野波公民館に隣接する小高い丘を登ったところに本曲の歌碑が建てられています。
一説によると、伊野波に暮らす男と山向こうに暮らす女のロマンスを描いており、二人が束の間の愛を語り合ったあくる日、見送りに連れ立つ道中を綴った歌であると云われています。
石混じりの小坂は鬱蒼として険しい山道であるが、愛しい女性と連れだって登れば、もっと遠くまで続いてほしいと願うものであると、逆説的な文法を用いて別れ際の切情を詠み込んでいます。
補足
組踊
三千首の琉歌を収めた『標音評釈・琉歌全集/武蔵野書院版』には十三首の「伊野波節」が集録されており、内容は生き別れの切情を詠った琉歌が多くみられます。
組踊(※1)の演目「二童摘討」、「忠孝婦人(大川敵討)」、「大城崩」、「忠臣身替」、「伏山敵討」の作品では、仇を取るために生き別れるシーンの演奏曲として「伊野波節」の旋律が借用されています。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
略歴
■玉城朝薫(1684年-1734年)
首里儀保村に生まれる。
琉球王国の官僚で冊封式典の踊奉行を務める。
国劇である組踊の創始者で多くの作品を生み出す。
「二童敵討」、「執心鐘入」、「銘苅子」、「孝行の巻」、「女物狂」を朝薫五番と称す。
中昔節
「伊野波節」は古典音楽の中昔節(※1)の分類に属します。
中昔節(※1)
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは「伊野波節」が舞踊曲として演奏される演目「伊野波節」について解説しています。
「伊野波節」 - 古典舞踊/女踊り
伊野波節:歌詞 逢はぬ夜のつらさあわんゆぬつぃらさ よそに思なちやめゆすにうみなちゃみ 恨めても忍ぶうらみてぃんしぬぶ 恋の習ひやくいぬなれや 訳 逢えない夜は辛いこと、あ ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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