工工四
歌詞
わが身つで見ちど よその上や知ゆる
無理するな浮世 なさけばかり
訳
わが身を抓ってみると他人の痛みを知ることが出来る。
無理を講じることなく、思いやりをもって接しなさい。
つで
- 抓って
浮世
- 日常のありさま
- 世の中
解説
「仲間節」は国頭郡恩納村名嘉真が発祥の地で、名嘉真公民館に隣接した一角には原歌の歌碑が建てられています。
本曲は原歌の旋律を借用し、琉球国王である尚敬王(在位:1713年 - 1751年)が詠んだもので、人生に対する教訓的な要素を含んだ歌曲です。
創作された背景には1734年に起きた平敷屋・友寄事件につながりがあるとされています。
首里士族で和文学者の平敷屋朝敏は王府高官であった友寄安乗らと、琉球王府に対する体制批判を先導したことにより反逆の罪で逮捕され、磔の刑に処されます。
残された朝敏の妻や子どもたちは島流しとなり、その後は身分を落として過酷な生活を強いられました。
事件が起きた要因は諸説ありますが、当時、国政の指揮を執っていた蔡温の強権的な政治体制を批判したものだと云われています。
尚敬王は、この極めて重い処罰に対して蔡温をいさめますが、最終的に翻ることなく死刑が執行されます。
本曲はこの一連の事件を憂いた国王の節情であると言い伝えられています。
略歴
■尚敬王(1700-1752)
第二尚氏王統の第13代国王。
教育と文化振興に力を入れ、琉球王国を文化大国へ導いた名君。
現代に伝承される芸能文化の多くがこの時代に生み出される。
1719年には台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された組踊(国の重要無形文化財、世界のユネスコ無形文化遺産)が誕生。
略歴
■平敷屋朝敏(1700-1734)
沖縄県那覇市首里金城村に生まれる。(首里士族の家系)
和文学者、和文物語作者。
組踊の「手水の縁」をはじめ、「若草物語」、「苔の下」、「萬歳」、「貧家記」、他に和歌や琉歌を残す。
略歴
■蔡温(1682-1762)
沖縄県那覇市久米村に生まれる。
中国から渡ってきた種族の末裔。(久米三十六姓)
若くして即位した尚敬王の国師職(教育係)を務める。
1728年には国政の指揮を執る三司官に就任し、儒教の思想を取り入れながら行政改革をおこなう。
補足
平敷屋タキノー
現在のうるま市勝連平敷屋周辺の脇地頭(領地を監理する職)であった平敷屋朝敏が、水不足に苦しむ農民のために溜池をつくり、この時に掘り出した土を盛り上げて築いた丘を「平敷屋タキノー」と呼んでいます。
現在、このエリアは勝連半島を一望できる景勝地として公園整備され、その一画に平敷屋朝敏の功績を讃えた歌碑が建てられています。
歌碑の内容から士族という身分におごることなく、弱い立場の人々に目を向けてきた心優しい人柄を垣間見ることができます。
歌碑(貧家記)
哀その はた打かへす せなかより
ながるるあせや 瀧つしらなみ
訳
猛暑の中、無心で働く農夫の背中より、
流れる汗は瀧のようである(いたたまれない気持ち)。
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは「仲間節」が舞踊曲として演奏される「諸屯」について解説しています。
「諸屯」 - 古典舞踊/女踊り
仲間節:歌詞 思事の有てもうむくとぅぬあてぃん 与所に語られめゆすにかたらりみ 面影と連れてうむかぢとぅつぃりてぃ 忍で拝ましぬでぃおぅがま 訳 心にお慕したいすることがあ ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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