工工四
歌詞
すんねくり舟の 行きゆる渡海やれば
けふや行ぎ拝で 明日や来ゆすが
訳
くり舟で渡って行ける海であれば、
今日に行ってお会いし、明日には帰ることが出来るのだが。
すんねくり舟
- 「すんね」 = 丸木舟 《『標準語引分類方言辞典』東京堂出版》
- 「くり舟」も同じ意味で、丸太を刳り抜いて造られた小舟。同じ意味を持つ言葉をつないで連語表現としている。
渡海
- 海を渡る
解説
「本田名節」は節名の通り伊平屋島の田名集落が発祥の地で、この一帯は緑豊かな美しい田園風景を背に珊瑚礁の海が広がり、古くより農業と漁業を中心に生活を営んできました。
歌詞にある”くり舟”は丸太を刳り抜いて造られた小舟のことで、漁業をはじめ周辺の島々を渡る交通手段に使われてきました。
しかし、伊平屋島の周辺海域は通称「伊平屋渡」と呼ばれ、黒潮などの影響により天候の悪い日は荒波が立つ難所として知られています。
「本田名節」はこうした危険の伴う航路を”渡りがたい恋路”に例えて詠み込んでいます。
補足
楽曲の変遷
琉球王府の楽師を務めた知念績高によって「本田名節」が創作されたことにより、『屋嘉比工工四』(※1)に収められている「モト田名ブシ」は今日の「昔田名節」に節名が替わったと云われています。《参考:『沖縄三線節歌の読み方』沖縄教販》
屋嘉比工工四(※1)
琉球音楽家の屋嘉比朝寄(1716-1775)によって編み出された記譜法により創案された現存する最も古い三線楽譜です。(117曲編纂)
略歴
■知念績高(1761-1828)
沖縄県那覇市首里桃原町に生まれる。
湛水流の奥平朝昌に師事し、その後、屋嘉比朝寄の「当流」を豊原朝典より学ぶ。
のちに屋嘉比工工四(117曲)に46曲を追加し、芭蕉紙工工四を完成させる。
弟子には、安冨祖流を創設した安冨祖正元や野村流を創設した野村安趙がいる。
二回にわたり琉球王府の楽師を務めた。
ハイチョウの一鎖
本曲に加えて「真福知のはいちやう節」、「揚高禰久節」の三曲を組曲として、航海を祈願する祝儀曲として演奏されます。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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