工工四
歌詞
通水の山や 一人越えて知らぬ
乗馬と鞍と 主と三人
訳
通水の山を一人越えて来たので誰も知ることはない。
(知っているのは)乗馬と鞍と主人の私、三人だけである。
通水の山
- 伊是名島の諸見地区から勢理客地区を通る山路。大木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く大変険しい山道であった。参考:『通水節の歌碑』
鞍
- 馬の背に置いて、人や荷物を乗せる馬具。
解説
「通水節」は琉球王国の尚円王が青年期まで過ごした伊是名島を舞台に、恋人と忍び逢うために通った山路を背景にして自身の心情を詠み込んだ歌曲です。
山道の中間に位置する伊是名村仲田にある公園には、馬に乗った若き日の尚円王の銅像と本曲の歌碑が建てられており、石板の解説には以下の文面が刻まれています。
尚、最古の琉歌集である『琉歌百控』(※1)には「通水節」が収録されており、出自に伊平屋嶋と記されているのはかつて伊是名島は伊平屋間切(行政区)に属していたためです。(※1940年に伊平屋から分村)
尚円王は、青年期まで、首見邑(諸見区)の「首見の比屋」の庇護を受けていたと言われ、住まいが首見の比屋宅の北の方角にあることから、「北の松金」と呼ばれたそうであります。
その頃、勢理客邑(勢理客区)は島一番の華国と讃えられ、夜ごと若者達が集まる華やかな邑でありました。
当時、ここ通水は、勢理客邑に通う唯一の山道で、大木が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗く、大変寂しく険しい山道でありました。
北の松金は、その険しくも寂しい通水の山道を、愛馬にまたがり、毎夜のように勢理客邑に通ったと伝えられています。
その時の寂しく、切なく熱い思いを詠ったのが今に歌い継がれている「通水節」であります。
『琉歌百控』(※1)
上編「乾柔節流」、中編「独節流」、下編「覧節流」の三部(全601首)からなり、1795年~1802年にかけて編纂された最も古い琉歌集です。
略歴
■尚円王(1415-1476年)
伊是名島の百姓の家に生まれ、元の名を金丸という。
四百年続いた第二尚氏王統の初代国王。
当時の琉球王府に対する不満勢力がクーデターを起こして実権を奪い、新国王に金丸が迎えられ、尚円王として即位する(1469-1476年)
補足
組踊、古典音楽
琉球王国の国劇である組踊(※1)に「仲村渠真嘉戸」というタイトルの作品があります。
この作品は伊江島の由緒ある家柄の娘 仲村渠真嘉戸と伊是名島の北の松金(後の尚円王)の逢瀬を描いた短編物語で、二人が再会を喜びあうシーンの演奏曲として「通水節」の旋律が借用されます。
また、古典音楽の「仲村渠節」は真嘉戸と松金のロマンスを描いた歌曲であると云われています。
組踊(※1)
琉球王国時代の1718年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
中昔節
「通水節」は古典音楽の中昔節(※1)の分類に属します。
中昔節(※1)
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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