工工四
歌詞
なみだより外に いことばやないらぬ
つめてわかれぢの 近くなれば
訳
涙よりほかに話す言葉はない。
いよいよ別れの岐路が近くなって来たならば。
ないらぬ
- 無い
つめて
- いよいよ
- 差し迫って
解説
「揚七尺節」は大切な人との別離を嘆き悲しむ切情を詠み込んだ歌曲です。
いざ別れの時が差し迫ると言葉ひとつ浮かばずに涙ばかりが溢れてしまうものです。
本曲は「七尺節」とおおよそ同じ旋律を辿りますが、歌い出しの”なみだ”と終わりの”近く”の語句は抑揚をつけながら高音で歌います。
このように特殊な演奏技法〔揚げ出し〕をとって、切迫した情感を表現することから「揚七尺節」と命名されました。
補足
組踊
三千首の琉歌を収めた『標音評釈・琉歌全集/武蔵野書院版』には本曲を含めニ首の「揚七尺節」が集録されており、同じく別離の哀傷を詠み込んだ琉歌が収められています。
組踊(※1)の演目「北山敵打(本部大主)」では、生き別れを描く痛切な場面で「揚七尺節」が歌詞を替えて演奏されます。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
略歴
■玉城朝薫(1684年-1734年)
首里儀保村に生まれる。
琉球王国の官僚で冊封式典の踊奉行を務める。国劇である組踊の創始者であり、多くの芸術作品を生み出す。
「二童敵討」、「執心鐘入」、「銘苅子」、「孝行の巻」、「女物狂」を朝薫五番と称す。
揚七尺節
つれなさやふたり 人に生れとて
あわれいきわかれ するがしんき
訳
いたましいことに二人は人として生まれながら、
気の毒にも生き別れすることになり辛い。
しんき
- 心気 = 辛い、悲しい
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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