工工四
歌詞
まこと名に立ちゆる 塩屋の番所
中山やこしやて 港目の前に
沖の網船の えいやえいや
えいやえいやと 浜によせくるは
道いそぐ人も 立ちよどで見やべさ
だんぢよ首里那覇も 音にとよむ
訳
まことに評判の塩屋の番所は、
中山を背にして港を目の前に(建つ)。
沖の船がえいやえいや(掛け声)、
えいやえいや(掛け声)と浜に寄せてくれば、
道を急ぐ人も立ちどまって見ている。
道理で首里、那覇にも(名所として)よく知られているわけだ。
名に立ちゆる
- 評判の
塩谷の番所
- 大宜味間切塩谷(現・国頭郡大宜味村塩谷)の役場。塩谷"の地名は塩の産地であることに由来している。
こしやて
- 背にして
だんぢよ
- 本当に
- まことに
- いかにも
- 道理で
- なるほど
音にとよむ
- 名高い
- (名所として)知られている
解説
「大浦節」は組踊(※1)「花売の縁」の演奏曲として構成されている歌曲で、旅の途中に出会う猿引(猿まわし)の登場シーンで演奏されます。
本曲は緑豊かな山々に囲まれ、穏やかな美しい海が沖縄八景に選選ばれた大宜味村塩屋集落の景観を賛美した内容となっています。
最古の琉歌集である『琉歌百控』(※2)には「大浦節」の原歌となる「本大浦節」が収められており、出自には久志間切大浦村(現・名護市大浦)と記されています。(※下記補足に追記)
「大浦節」は古典音楽では数少ない三下調(※3)の調弦法で演奏されます。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
『琉歌百控』(※2)
上編「乾柔節流」、中編「独節流」、下編「覧節流」の三部(全601首)からなり、1795年~1802年にかけて編纂された最も古い琉歌集です。
三下調(※3)
本調子より第三弦(女弦)を一音下げる調弦法です。
「花売の縁」
首里の下級武士である森川の子はここ数年いろいろと不仕合せなことが重なり、親子三人で暮らすことがとうとう困難な状態に陥りました。
夫婦で話し合った結果、森川の子は遠く山原の村へ働き口を探しに行き、妻の乙樽は身分の高い家の乳母として奉公に出向いて、どちらかの暮らしが良くなったらまた家族で暮らす約束をして別れました。
それから十二年という長い年月が過ぎ去り、ようやく妻子の生活にもゆとりが見えはじめると、妻の乙樽は兼ねてからの約束を果たすために子供の鶴松を連れて音信不通であった夫を探しに旅に出ます。
旅の道中で出会う猿引の芸に心を和ませたり、蒔取りの老人から夫の消息を聞き付け、今も心意気を失わずに暮らしている様子を伺いながら旅を続けます。
人の往来が絶えない賑やかな大宜味村の塩谷田港に到着し、夫の居場所を探していると目の前に花売の男が現われます。
乙樽には感じるものがあり、梅の花を買い求めたその時、花売は自分の妻と子供だと気付きます。
森川の子は自身の落ちぶれた姿を恥じて身を隠しますが、乙樽の説得に心を開いて、家族の再会を歓び、共に首里へ戻るのでした。
補足
節名の由来
「大浦節」の節名と舞台となった大宜味村塩屋集落の関連性については、組踊「花売の縁」に登場する猿引(猿まわし)の出身地が大浦湾に面した久志間切辺野古であることに紐づけて作者が舞台用に創作したものであると考察します。
大浦節
大浦港に 船頭衆か入は
瀬嵩蒲戸小や 目笑はこき
訳
大浦港に船頭衆が入港すれば、
(立つ白波はまるで)瀬高蒲戸小"(名前)が微笑んでいるよう。
大浦港
- 名護市の南に位置する大浦港
瀬嵩蒲戸小
- 娘の名前
※童名 = かつて琉球王国時代に用いていた名前。家柄の地位、階級によって付ける名前が定められていた。
※昔の名前の付け方 = 瀬嵩(地名)+ 蒲戸(童名) + 小(愛称)
目笑はこき
- 微笑むときにみせる目と歯ならび
- 微笑んでいる
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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