工工四
歌詞
こばや金武こばに だけや安富祖だけ
やねや瀬良垣に はりや恩納
訳
クバの葉は金武で取り、竹は安富祖で取る。
骨組みは瀬良垣で、張りは恩納で仕上げる。
こば
- クバ = ヤシ科の常緑樹。別名ビロウと呼ぶ。
やねや
- 骨組み
- 茅葺屋根を作ること
解説
「金武節」は各地を辿る道のりをクバ笠作りの工程になぞらえて詠み込んだ歌曲です。
歌詞に登場する金武、安富祖、瀬良垣、恩納の4地区はかつて琉球王国が管轄する行政区において、「金武間切」に属していたことから本曲の節名に命名されています。
クバは昔から人々の生活に深く関わり、耐久性や撥水性がよいため生活資材として重宝されてきました。
大きく分けて「高クバ」と「地クバ」があり、「高クバ」は幹が高く葉は大きく育つのに対し、「地クバ」は背が低く葉は小さく柔らかい性質をもつと云われています。
クバ笠は細く削った竹を骨組みにし、「地クバ」の葉を張って作られ、雨天時と日よけに活用されてきました。
補足
諸説
「金武節」は尚徳王の一族が政権クーデターによってこの地に落ち延びたときの情景を詠んだものとする一説があります。
その際の「金武節」の意訳は下記になります。
訳
ここは金武で、あの山は安富祖岳。
屋根が見えるのは瀬良垣で、一走りゆけば恩納に着きます。
第一尚氏と第二尚氏
第一尚氏(1406年-1469年)は、最初に琉球王国を統一した王朝です。
尚氏紹王(在位:1406年-1421年)を始祖として7代続きましたが、政権クーデターの勃発により尚徳王(在位:1441年-1469年)を最後に陥落します。
第二尚氏(1469年-1879年)はクーデターの指揮を執っていた尚円王(在位:1469年-1476年)を始祖として19代続いた王朝です。
どちらの王朝も名前は同じですが血縁関係はなく、外交上の問題から名前を引き継ぐかたちになったそうです。
金武町屋嘉の浜辺には「七日浜の碑」が建てられおり、同じく尚徳王一族が落ち延びた道行の様子が記されています。
組踊
「金武節」は組踊(※1)の「執心鐘入」、「久志の若按司」、「手水の縁」など多くの道行のシーンで演奏されます。
組踊(※1)
琉球王国時代の1718年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは、「金武節」が舞踊曲として演奏される「本貫花」について解説しています。
「本貫花」 - 古典舞踊/女踊り
金武節:歌詞 春の山川にはるぬやまかわに 散り浮ぶ桜ちりうかぶさくら すくい集めてどすぃくいあつぃみてぃどぅ 里や待ちゆるさとぅやまちゅる 訳 春の山川に散り浮かぶ桜の花を ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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