大主手事:器楽曲
「手事」は舞台に登場する際に演奏される器楽曲です。(歌唱を伴わない楽器のみの曲・インストゥルメンタル)
波平大主:名乗り
出様ちやる者や 玉村の按司の頭役 波平大主
主人若按司や 勝連の島の 平安名大主の宿に 隠れやりいまいん
如何やしがな我身や 味方集めやり 片時も急ぎ 按司加那志かたき 討ち取らんともて 与所目かくれやり 島の島々里々よ忍で 散り散りになとる 人数集めゆん
あゝ移ればかわる 人心やれば
平安名大主 吉田の子二人 謀叛事たくで 今月のはじめ頃 若按司よからめ 敵に降たんで 語れべのあとて 今日ど我ない聞きゆる
あゝ口惜しや残念
かにある世の中に 永らへて居とて 朝夕胸中に 煙たかよりか 急ぎ勝連の 島に走寄やり 実不実尋ね まことどもやらば 先づ 平安名大主 切り殺ちすてて
勝連の戻り 直ぐに八重瀬の 城に立越しやり 悪按司と吉田 寸寸に切やり
城の人々に 我が名打ち名乗て 快く我腹 縦横に切やり 主人二人たので 二心持ちゆる 生族むざの いましめにしゆん
訳
まかり出た者は玉村の按司の頭役、波平大主である。
主君の若按司(御子息)は、勝連の平安名大主の屋敷に身を隠していらっしゃる。
どうにか味方を集めて一亥も早く主君の仇を討ち取るため、人目につかぬよういくつもの島や里に忍び込んで別れ別れになった同志を集めよう。
ああ、しかし時が過ぎれば変わる人の心。
平安名大主と吉田の子の二人が謀反を企んで、今月の始め頃に若按司をだまし、敵方に引き渡したとの話を今日聞いたのである。
まことに残念なことである。
このような世の中に生き永らえ、朝夕も胸内に不満を持つより、急いで勝連に行って事実を問いただしてそれが真実であるならば先ず平安名大主を切り捨て、
勝連から戻るなり直ぐに八重瀬の城に乗り込み、悪按司(八重瀬の按司)と吉田をずたずたに斬ってから、
城の人々に名前を名乗り、潔く自分の腹を縦横に斬って、二君に仕える二心を持った不仕付けな輩供の戒めにするとしよう。
加那志
- 「~様」、「尊い」といった敬称の意
称号、位階
15世紀頃より、琉球王府は位階制度と呼ばれる身分の序列を制定し、18世紀になると「九品十八階」の制度が確立されました。
按司は国王の親族に位置する特権階級で、若按司は按司の子にあたります。
各地域を領地として与えられ、自陣の領地の名をとって家名にする習わしでありました。
王族の「按司」、「若按司」は最上位に位置しますが「九品十八階」には含まれないため、「大主」が最も上の位階に位置し、「子」は一般士族の品外となります。
当時は、身に着ける冠(ハチマチ)や簪(ジーファー)の色や素材によって等級、身分を区別していました。
道行口説:歌詞
1.
さても移れば 変わりゆく 人の心ぞ 浅ましや いざや最後の 出立ちに
2.
有し様かへ 編笠に 深く面を 隠してぞ 行けば程なく 我謝安室
3.
浜に千鳥の 友呼ぶや 聞くにつけても 哀れなり のぼりのぼりて 中城
4.
しばしやすらひ 真南見れば 故郷の名残も 有明の 月に思ひぞ 勝るなり
5.
東表を 見渡せば 波にぬれぢの 津堅島 降りて渡口の 村過ぎて
6.
和仁屋間潮路に わけ入れば 急ぢ歩でも 歩まらぬ ”エイ” 今ど勝連 南風原に 急ぎ急いで 忍で来やる
訳
1.
時が過ぎれば変わるゆく人の心とは、情けないものだ。さあ最後の旅立ちだ。
2.
いつもの身なりを変え、編笠に深く顔を隠して歩み行くと間もなくして我謝、安室の村を通る。
3.
浜辺で千鳥が友を呼ぶ鳴き声を聞いていても寂しいものである。(道中を)上って行くと中城に着く。
4.
しばらく休んでから南を見ると、故郷への名残も夜が明けるように月より思いが勝っている。
5.
東の方を見渡せば、波間にみえる津堅島。(道中を)下って渡口の村も過ぎて、
6.
和仁屋間の潮路(浅瀬)に入って、急いで歩こうとしてもうまく歩くことができない。ようやく勝連南風原に急ぎに急いで耐えながら到着した。
旅立ちの行程
「道行口説」の歌詞に出てくる各地名を地図におこしてみました。
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演目:解説
あらまし
「波平大主道行口説(八重瀬の万歳)」は、琉球王国の国劇である組踊(※1)「忠臣身替の巻」の作中にある一場面を琉球舞踊として独立させた演目になります。
舞台のはじまりに演奏される器楽曲の「手事」と物語の経緯や状況を台詞で述べる「名乗り」は組踊の様式を受け継いだ演出表現で構成されています。
編笠をかぶり腰に大刀を指し、手には杖串(※2)を持って口説(※3)の節まわしにあわせながら登場人物の波平大主の心情を道中の風景に映し重ねて演じていきます。
組踊(※1)
琉球王国時代の1718年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
杖串(※2)
杖を象徴し、演目の用途によって使い分けができるように短い竹(約60cm)で作られた小道具です。
琉球舞踊や組踊で演じられる道行の場、刀を表象する所作に用いられます。
口説(※3)
七句と五句を繰り返すリズミカルな七五調に道行の情景を述べていきます。かつて日本本土より伝わった節まわしとされ、基本は大和言葉を用いて歌います。
組踊「忠臣身替の巻」
八重瀬按司は、玉村按司の夫人の美貌に心を奪われ手をかけようと大里城に攻め入りましたが、捕まる前に夫人は玉村按司と共に自害してしまいます。
残された若按司(子供)は、難を逃れて勝連の平安名大主のもとに匿われますが、そのことを知った敵方は、のちの災いを絶とうと大軍をあつめ勝連に攻め入る計画をたてます。
噂を聞き付けた玉村按司の家臣である里川の長子 亀千代が、自ら若按司の身替わりになることを決意して、敵方の城に人質として向かいます。
一方、波平大主は、平安名大主が反旗を翻して若按司を敵に渡してしまったとの誤った情報を聞き、憤慨して勝連に乗り込み平安名大主に問いただしに行きます。
結果、事の真相を知り誤解だと知った波平大主は、いざ同志とともに八重瀬城を攻め込んで亀千代を救出し、見事に敵方を討ち取るといった内容の物語となっています。
みどころ
演目は「大主手事」、「波平大主の名乗り」、「道行口説」の3部で構成されています。
器楽曲「大主手事」の演奏より、編笠をかぶり腰には大刀を指して歩みにあわせながら手に持つ杖串を上下に振りかざし登場します。
《角切り※3》で舞台中央まで歩み基本立ちになると、威風のある構えで「波平大主の名乗り」を唱え、これまでの物語の経緯を所作に交えて展開していきます。
”与所目かくれやり”の台詞では面を下に落として人目に立たぬ様子を表現し、続けて”島の島々里々よ忍で”の台詞で、一度上げた面を左から右へ三方へ配る所作に戦いへ挑む決意をにじませていきます。
”急ぎ勝連の 島に走寄やり”では杖串を振り上げ語気を鋭く言い放ち、”切り殺ちすてて”、”寸寸に切やり”の台詞で早る胸内を太鼓のリズムでアクセントをつけて盛り立てていきます。
最後に唱える”いましめにしゆん”の後、間髪入れずに「道行口説」の演奏に入る1コマは地謡と踊り手が間をはずさないように息を合わせ、打って変わり道行を描いた踊りに転換する演目の一つの見所になります。
「道行口説」では波平大主の心情を一連の所作にあらわし、勝連までの道中の風景に映し重ねて描いていきます。
”のぼりのぼりて 中城”の一節では《ナンバン※4》の所作を用いて、馬が地面を踏むような力強さ、勇壮さをあらわして演じていきます。
”有明の月に思ひぞ”の一節で、手を額にかざして月を見る姿をあらわし、”和仁屋間潮路に わけ入れば”では足を高く上げて潮路(浅瀬)を歩む姿を写実的に表現し、主君の仇を討つために終始気迫のこもった所作を取り入れながら踊りを納めていきます。
※流派によっては、演目構成や所作が異なる場合があります。
《角切り※3》
踊り手が舞台を斜めに、下手奥から上手前へ向かって対角線上に歩み出ること。
《ナンバン※4》
同じ側の手と足を同時に出しながら歩む身体技法。
補足
「手事」
「按司手事」、「若按司手事」、「大主手事」。
組踊の約束事の一つで、位の高い男役が舞台に登場する際に用いられる歌唱を伴わない器楽曲(インストゥルメンタル)のことを指します。
身分は王族である「按司」、「若按司」に次いで「大主」の順番となり、それぞれに曲調表現が異なります。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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