工工四
歌詞
京の小太郎が作たんばい 尻ほげ破れ手籠尾すげて
板切目貫き乗り来たる みいははとしいつやうんつやうん
やんざいかふすや馬舞者 がいず舞うた獅子舞うた
かにあるものお目かけため をかしやばかり
”シタリガツヤウンツヤウン ヤアツヤウンツヤウン”
訳
京都の小太郎が作った、底が抜けて破れた手籠に緒を付けて、
板切れに穴を貫き(馬に見立てた木に)乗って、驚いた様子の(馬を)どうどう(かけ声)となだめる。
行脚講者(万歳芸人)は作り馬(春駒)で舞い、がいずが舞って、獅子が舞う。
思いがけないものをお目にかかり、なんともおかしいばかり。
”よーし、どうどう、さあ、どうどう(かけ声)”
京の小太郎
- かつて島各地を巡業していた行脚講者(万歳芸人)の呼び名
馬舞者
- 腰に作り馬(春駒)をつけて踊る舞手
がいず
- 猊子 = 獅子によく似た伝説上の生物
※または、戒師 = ”人形”とする解釈がある。参考:『琉球に於ける傀儡の末路と念仏及び万歳の劇化/山内 盛彬』
解説
「さいんそる節」は京太郎と呼ばれる万歳芸人が各地の家々をまわり、門付芸能を演じてお祝いする様子を詠み込んだ歌曲です。
お正月やお盆などのお祝い事になると京太郎が家の門に立ち、「万歳」の祝言、「馬舞」をはじめとする演目、仏と呼ばれる人形をたずさえて「人形芝居」を演じていました。
その後、社会の変遷とともに活動が廃れていきましたが、現在でも沖縄本島の宜野座村、沖縄市泡瀬などでこれらの芸能が継承されています。
また、那覇市辻では旧暦のお正月に開催される「廿日正月」(じゅり馬祭り)の奉納演舞に軽快なリズムの「さいんそる節」に合わせて「馬舞者」が踊られています。
補足
廿日正月(じゅり馬祭り)
旧暦二十日の正月納めの日、那覇の三大行事の一つである「じゅり馬祭り」が開催されます。
辻にある旧遊郭エリアを上村渠と前村渠の各地区二つに分けて「じゅり馬行列」がおこなわれ、行事の責任者である大盛前の自宅から出発し、上村渠は獅子舞を中心に前村渠は弥勒様を中心にして、五穀豊穣と書かれた旗をなびかせながら行列を組んで行進します。
行列の中で一際華やかな紅型衣装に身を包んだ舞手が、板で作った馬首を腰に装着し、赤白の手綱を引きながら三線や太鼓の音色に合わせて「ユイユイ」と練り歩きます。
組踊
「さいんそる節」は組踊(※1)「万歳摘討」の演奏曲として構成されています。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
古典舞踊
古典舞踊のカテゴリーでは「さいんそる節」が舞踊曲として演奏される古典演目「高平良万歳」について解説しています。
「高平良万歳」 - 古典舞踊/二才踊り
萬歳口説:歌詞 1. 親の仇をうやぬかたちをぅ 討たんてやりうたんてい 万歳姿にまんざいすぃがたに 打ちやつれうちやつぃり 棒と杖とにぼうとぅつぃとぅに 太刀仕込でたちしくでぃ 2. 編 ...
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参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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