工工四
歌詞
旅や浜宿り 草の葉の枕
寝ても忘ららぬ 我親のお側
訳
旅は浜辺を宿にして草の葉を枕にする。
寝ても忘れられないのは我が親と過ごした(日々である)。
※民謡(2番以降の歌詞は下記参照)
解説
ひとり故郷を後にして募る郷愁の思いを浜辺で哀しそうに鳴く千鳥の姿に映し重ねて詠まれた歌曲です。
「浜千鳥節」はうるま市田場に位置する赤野海岸(赤野の浜)が発祥の地で、浜の入り江には本曲の歌碑が建てられています。
以下の歌碑解説板より引用
今から約ニニ〇年前の一八〇〇年頃、第ニ尚氏一七代尚灝王の時代、伊波筑登之親雲上は、王府の出納係をしていたが、職務上で誤りを犯したと勘違いをし、お咎めを恐れ親兄弟の元を逃げるようにして首里を後にした。
後にたどり着いたのが赤野の浜であったといわれている。
伊波はそこに留まり、草の葉を枕に野宿をしていたが、情けない姿に郷愁感・寂寥感にさいなまれ遠く離れた愛しい人や親兄弟を思う気持ちは募るばかりであった。
浜辺で泣く千鳥の声に一層郷愁を誘われて詠んだ詩が浜千鳥だといわれている。(中略)
浜千鳥の踊りは明治二十四年、琉球王府の御冠船踊りの最後の継承者である玉城盛重によって振り付けられた。(中略)
雑踊り(※1)の代表作として親しまれ、文化的にも価値の高いものとされている。
引用:うるま市教育委員会 赤野区浜千鳥フェスタ実行委員会
雑踊り(※1)
明治16年(1883)頃、琉球芸能が初めて入場料を取って興行がおこなわれて以来、芝居小屋で創作振り付けられた近代の舞踊。
琉球王朝が崩壊した後、歓待芸能を職としていた者が率いて踊りを披露していました。
略歴
■玉城盛重(1868-1945)
沖縄県那覇市首里に生まれる。
近代の沖縄芸能の大化であり、古典正統継承者。
代表する作品には、「谷茶前節」、「浜千鳥」、「むんじゅる」、「貫花」、「花風」、「加那ヨー」、「あやぐ」、「松竹梅」、「金細工」、「川平節」がある。
補足
民謡
「浜千鳥節」は沖縄の方言で「ちじゅやー」と呼ばれており、大衆の民謡曲として愛唱されてきました。
もとは四つの古歌をつないだ琉球舞踊「浜千鳥」の舞踊曲として、二番以降の歌詞は振付のために構成されたと云われています。
浜千鳥節(民謡)
1.
旅や浜宿り 草の葉の枕
寝ても忘ららぬ 我親のお側
2.
旅宿の寝覚め 枕そばだてて
思出しゆさ昔 夜半のつらさ
3.
渡海やへぢやめても 照る月や一つ
あまも眺めよら 今宵の空や
4.
しば木植ゑて置かば しばしばといまうれ
真竹植ゑておかば またもいまうれ
訳
1.
旅は浜辺を宿にして草の葉を枕にする。
寝ても忘れられないのは我が親と過ごした(日々である)。
2.
旅の宿で目が覚めて枕に頭を傾けていると、
思い出されるのは昔のこと、夜半のつらいことよ。
3.
海を向こうに隔てていても照る月は一つ、
貴方も眺めているでしょう今宵の空を。
4.
しば木を植えておきますので、一度ならず度々おいでください。
真竹を植えておきますので、またいらしてください。
そばだてて
- 欹てる = 枕に頭を傾けて、枕にもたれる
渡海
- 海を渡ること
- 海の向こうへ渡ること
あま
- 貴方 = 女性が愛する男性に対して呼ぶ敬称
- あのお方
※男性が愛する女性に対して呼ぶときは「あれ」と呼ぶ。
しば木
- クスノキ科の常緑高木
- ヤブニッケイ(植物名)
※しばしばと掛けている。
真竹
- 最もよく見られる竹の一種
※またと掛けている。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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