はじめに
琉球古典舞踊「瓦屋節」の一節に構成される「なからた節」の原歌を探るため、西表島の祖納集落で執り行われる豊年祭に参加してきました。
毎年旧暦の6月(新暦6月下旬から8月上旬頃)に開催される祖納(西表島)の豊年祭は、一年の収穫を感謝するとともに、集落の子孫繁栄、無病息災、そして来年もまた豊かな自然の恵みが得られるよう神様に祈りを捧げる伝統行事になります。
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「瓦屋節」 - 古典舞踊/女踊り
なからた節:歌詞 できやよおしつれてでぃちゃようしつぃりてぃ 眺めやり遊ばながみやいあすぃば 今日や名に立ちゆるきゆやなにたちゅる 十五夜だいものじゅぐやでむぬ 訳 さあ、 ...
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西表島
西表島は沖縄県のなかで2番目に大きな島であり、全体の約9割が森林やマングローブ林で覆われています。
島内には様々な生物が生息しており、絶滅危惧種に指定されているイリオモテヤマネコをはじめ、陸生のヤエヤマセマルハコガメ、猛禽類のカンムリワシなどが共存しています。
祖納集落
豊年祭が開催される祖納は、西表島の西部に位置する祖納岳(標高293.8m)の麓にあり、島の集落の中で最も早くに開かれた歴史があります。(現在、祖納の地名は廃止されており、字西表(行政区画)の一部に併合されています。)
開拓当初は西側後背にある小高い丘陵地に存在し、一段高くなった上にあることから通称「上村」と呼ばれ、現在の祖納集落は「下村」と呼んでいました。
「上村」は阿立、大立、宇嘉利、「下村」は内道、下原、真山の小区域で形成されており、「下村」(現在の集落)の下原地区は琉球古典音楽「そんばれ節」の発祥の地でもあります。
名前の由来
祖納の由来は諸説ありますが、一般的に"祖"の単字は~物事のはじまりを指すことから、はじまりを創った(納めた)を意味しているのではないかと推察します。
また、民話や伝説によると、十四世紀~十五世紀頃にはじめてこの地を村建てした"大竹祖納堂儀佐"という人物がおり、名前に"祖納"の文字が当てがわれていることから、上述した由来との関連性を読み取ることができます。
"大竹祖納堂儀佐"は与那国島を統治していた時代があり、両島との間には長い交流の歴史が記録されていることから、与那国島にある祖納(同名地区)に関しても何らかの結びつきがあるのではないかと推察します。
※参考文献:琉球国由来記 巻二十一(八重山島嶽嶽名幷同由来)1713年 琉球王府編纂
祖納の祭事(稲作文化)
祖納集落は農業や漁業をはじめとする自然の恵みを頼りにした生活が中心です。
常に台風などの脅威と隣り合わせの環境で、自然の変化に直結し、日々の暮らしが大きく左右されます。
このことから、祖納集落では大いなる自然の恵みに感謝するため、一年を通して数多くの祭事が執り行われます。
本項では稲作文化に関連する祭事を以下にまとめました。
| 月 | 行事 | 解説 |
| 1月 | ||
| 2月 | 種子取祝(タナドゥリヨイ) | 苗代を祓い清め、稲の種子の撒きはじめをお祝いする。 |
| 3月 | 田植びクシヨイ(タウビクシヨイ) | 田植えが無事に完了したことをお祝いする。 |
| 4月 | 世願い(ユニンガイ) | 植えた稲が立派に育ち、豊かな実りとなるよう祈願する。 |
| 5月 | ||
| 6月 | 初穂祝(シコマヨイ) | 初穂の恵みを頂いたことに対して神に感謝する。 |
| 7月 | 豊年祭(プリヨイ、アサヨイ) | 豊作を迎えられたことを感謝してお祝いする。また、村落の繁栄と平和、翌年の豊作を予祝する。 |
| 8月 | ||
| 9月 | ||
| 10月 | ||
| 11月 | 節祭(シチ) | 神をお迎えし、五穀豊穣、村落の平和と繁栄を祈願する。稲作の節目の終わりとはじまりをお祝いする。 |
| 12月 |
ヤマチアハリ
"ヤマチアハリ"とは西表の言葉で、"ヤマチ" = 戒め事、"アハリ" = あける(解かれる)という意味です。
シコマ(初穂)を迎えた日より戒め事が解かれ、ダンチク(茎が竹のように太く、ススキのあいのこのような植物)で作った笛を響かせて"ヤマチアハリ"を村中に知らせるのは子供たちの役割でした。
ダンチク(西表ではダドーと呼ぶ)で作られた杖は、神職の魔よけの杖として用いられてきました。
※参考文献:「西表民謡誌と工工四」/著:石垣金星(西表をほりおこす会)
仲良田
西表島の南西部を流れる仲良川の中流付近にはかつて水田を開墾した歴史があり、当時は船で渡って、シコヤと呼ばれる田小屋に泊まり込み農作業をしていました。
仲良田の名称はこの流域一帯の水田地帯に由来しますが、現在では字西表(行政区)全域にある肥沃な美田に対して総称されるようになりました。
仲良田節
祖納集落では豊年祭に演奏される特別な神謡に「仲良田節」(※西表島での読み方は"なからだぶし")があります。
自然の仕組みを知り尽くした島の先人たちは、人間の力では遠く及ばない事象があることを熟知しており、大いなる神の力に感謝を捧げるため「仲良田節」が代々、歌い継がれてきました。
田植えから初穂の奉納までの期間は稲の成長をさまたげるとして、三線や太鼓などの楽器を演奏してはならない習わしがあります。そのため「仲良田節」は一年を通して、シコマヨイ(初穂祝い)から豊年祭までの期間しか歌うことは許されていません。
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「なからた節」- 古典音楽
工工四 印刷・保存 【工工四について】 歌詞 仲良田の米もなからたぬまゐん はなれつぢ粟もはなりつぃづぃあわん 稲粟のなをりいにあわぬなをぅり みろく世果報みるくゆがふ & ...
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豊年祭
旧暦の6月(新暦6月下旬から8月上旬頃)に稲刈りが終わると、吉日を選んで四日間に渡り、豊年祭が執り行われます。
島に生きる人々にとって神や自然との対話を重んじることは何よりも大切なことであり、古の時代から豊年祭は引き継がれてきました。
現在、祖納集落には後森御嶽(クシムリウガン)、前泊御嶽(マエドゥマリウガン)、離御嶽(パナリウガン)、北泊御嶽(ニシドゥマリウブウガン)の四つの御嶽があり、各御嶽には神事を取り仕切る神司(チカ、ツカサ)が存在します。
神司(チカ、ツカサ)は女性に限られ、親族が補佐役(チヂビ)を担い、村の年中行事をはじめ、神事の守護的存在として霊的な役割を果たします。
御嶽(※1)
神が存在、または来訪する聖域。
御嶽は森や川、井戸、墓石などさまざまな形態があります。
木の繁みの中心に忌部石(神が来訪する標識)を配置しているところが多く見られます。
一日目
神司(チカ、ツカサ)は御嶽にこもり、プリ祝い(豊年祝い)を迎えるため神に祈りを捧げます。
二日目
祖納公民館の役員や有志が各御嶽をまわり、今年も無事に自然の恵みを賜ったことへの感謝の気持ちを捧げるため「仲良田節」を奉納します。
三日目
プリ祝い(豊年祝い)は、今年も無事に豊作を迎えられたことに感謝します。
祖納集落に伝わる古謡をはじめ、歌三線や踊りを披露してお祝いします。
最終日
アサ祝いと称し、翌年の豊年を祈願する儀礼を執り行います。
トゥリムトゥ(宗家)に集まり、ワラで作ったワラサー(鉢巻き)とワラシクビ(腰巻き)を装着し、歌と踊りを中心に儀礼をおこないます。
道に敷き詰められた稲わらで大綱を作り、儀礼の後、東西にわかれて綱引きが行われます。
各家の人々が弥勒節を歌いながら、祖納集落の中央に位置する十字路に集まります。
翌年の豊作を予祝して奉納芸能が執り行われ、お祭りの最後を飾る綱引きでは、東西に分かれて五穀豊穣、子孫繁栄を祈願します。
※奉納芸能、綱引きのシーンは編集記者も参加していたため撮影できませんでした。
最後に
西表島の行く末を見据え、失われゆく言葉や伝統文化の再興に情熱を燃やし続けた郷土史家、文化伝承者である石垣金星氏のお言葉を拝借して締めくくりたいと思います。
「長い自然とのつきあいのなかから、どのようにすれば自然の恵みをいただくことができるのか、自然利用の仕方について実にたくさんの知恵と技が育まれ、それらの伝統の知恵と技は私たちへと受け継がれてきました。自然の恵みをいただくために決して忘れてならない大切なことは、おおいなる神への"お願い"と、自然の恵みによって生かされていることに対する"感謝"の気持ちです。」
参考文書
・西表島の文化力/石垣金星 発行:南山舎
・西表島民謡誌と工工四/西表をほりおこす会 発行:南山舎
























