工工四
歌詞
勝連の按司や だんぢよとよまれる
たけほども姿 人にかはて
訳
勝連の按司はまことに評判が良い、
背丈や風格が(堂々たるもので)並みの人と違う。
按司
- 国王の親族に位置する特権階級。各地域を領地として与えられ自陣の領地の名をとって家名にする習わしがある。
だんぢよ
- 本当に
- まことに
- いかにも
- 道理で
- なるほど
とよまれる
- 評判が良い
- 名高い
たけほど
- 背丈
解説
「津堅節」は組踊(※1)の創始者である玉城朝薫が原歌の旋律を借用して作詞を手掛け、自身の作品である「二童敵討(護佐丸敵討)」の演奏曲として構成されている歌曲です。
父親の敵を討つため踊り子に扮した兄弟が敵方である勝連城の阿麻和利を宴の席で誉め立て、相手が油断したところを首尾よく討ち取る一幕で演奏されます。
お酒に酔った阿麻和利が気分を良くして踊る場面では「津堅節」の軽快なリズムに合わせて乱拍子の舞(特殊な足使い)が効果的に表現されます。
勝連城はうるま市勝連南風原の小高い丘に築かれ、東西に長く連なる城壁からは護佐丸が居城していた中城城を一望することが出来ます。
組踊(※1)
琉球王国時代の1719年に踊奉行(式典の際に舞台を指揮、指導する役職)の任命を受けた玉城朝薫により創始された歌舞劇です。
台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された古典芸能で、1972年に国の重要無形文化財に指定され、2010年には世界のユネスコ無形文化遺産に登録されました。
略歴
■玉城朝薫(1684年-1734年)
首里儀保村に生まれる。
琉球王国の官僚で冊封式典の踊奉行を務める。国劇である組踊の創始者であり、多くの芸術作品を生み出す。
「二童敵討」、「執心鐘入」、「銘苅子」、「孝行の巻」、「女物狂」を朝薫五番と称す。
「二童敵討」
天下取りの野望を抱く勝連城の阿麻和利は、目先の邪魔者であった護佐丸をだまし討ちにして中城城を攻め滅ぼします。
阿麻和利に父親(護佐丸)の命を奪われた鶴松と亀千代の兄弟は、敵の目を逃れながら父親の敵討ちの機会をうかがっていました。
ある日、阿麻和利が野遊び(宴)を開く情報を耳にした兄弟は、ようやく敵を討つ機会が訪れたと母親に意を決意し、父親が愛用していた守り刀(短刀)を授かり、いざ敵陣へ向かいます。
踊り子に扮した兄弟は、宴の場で踊ったり酒をついだりして、徐々に阿麻和利を酔わせていきます。
気分を良くした阿麻和利は褒美として団扇や太刀、着用している陣羽織まで次々に与えていきます。
丸腰になって調子よく踊っている阿麻和利の隙を見逃さず、兄弟はついに父親の敵を討つことに成功します。
補足
原歌
最古の琉歌集である『琉歌百控』(※2)には「津堅節」が収められており、出自には勝連間切津堅村(現・うるま市津堅島)と記されています。
『琉歌百控』(※2)
上編「乾柔節流」、中編「独節流」、下編「覧節流」の三部(全601首)からなり、1795年~1802年にかけて編纂された最も古い琉歌集です。
津堅節
津堅渡の渡中 汗はてど漕ぎゆる
無蔵に思なせば ちゆおわいくなから
訳
津堅島の難儀な沖合を渡るには汗をかいて漕がなければならないが、
大切な女性のことを思えば、一漕ぎ半(で行くことが出来る)。
津堅渡
- 津堅島の難所の海
無蔵
- 「無蔵」は男性が思いを寄せる女性に対して使う言葉。女性が思いを寄せる男性に対して使うときは「里」と呼ぶ。
ちゆおわいくなから
- 一櫂半 = 一漕ぎ半
※櫂 = 水を漕ぐための道具。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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