工工四
歌詞
かれよしのあそび うちはれてからや
夜の明けててだの あがるまでも
訳
おめでたい宴に身も心も開放されて、
夜が明けて太陽がのぼるまで(楽しみましょう)。
かれよし
- おめでたいこと
- 縁起がよいこと
あそび
- 集い
- 宴
- 催し事
うちはれて
- 身も心も開放して
- 気分が晴れて
※祭祀行事の「うちはれの遊び」を指しているとの説もある。
解説
お目出度い祝いの場に興じて太陽が昇る夜明けまで思う存分に楽しもうと気分晴れやかな心の内を詠み込んだ歌曲です。
「ヨラテク節」の節名は囃子の”ユラティク”より命名されたもので、語源は「寄り合って来い」という意味を持ちます。(※工工四参照)
また、歌詞(上句)の”うちはれ”の解釈には諸説あり、かつて集落の祭祀行事でおこなわれていた「うちはれの遊び」という名称の神事を指しているのではないかという説があります。(※下記、補足追記)
補足
”うちはれの遊び”
古くより沖縄では災害や病疫を祓い鎮め、村集落の繁栄を祈願する祭祀行事「シヌグ」が各地方でおこなわれていました。
「シヌグ」で演じられる催しの一つに「うちはれの遊び」と呼ばれる神事があります。
「うちはれ」の語源は「雲が晴れる」、「疑いが晴れる」などを意味する「はりゆん」と、発端を示す接頭語の”うち”をつけた「うちはりゆん(意味 = 覆いかぶさったものが急に取れる)」が 転訛したものに由来します。
「うちはれの遊び」は身に着けている(覆いかぶさった)着物(不浄なもの)を取り、生まれたままの姿で場を清め祈願する習わしです。
尚敬王(在位:1713年 - 1751年)の時代、外交問題より風紀を危惧した政府によって「シヌグ」が禁止されてからは「うちはれ」の言葉も徐々に使われなくなりました。
略歴
■尚敬王(1700-1751)
第二尚氏王統の第13代国王。
教育と文化振興に力を入れ、琉球王国を文化大国へ導いた名君。
現代に伝承される芸能文化の多くがこの時代に生み出される。
1719年には台詞、舞踊、音楽の三つの要素から構成された組踊(国の重要無形文化財、世界のユネスコ無形文化遺産)が誕生。
参考文献一覧
書籍/写真/記録資料/データベース 当サイト「沖縄伝統芸能の魂 - マブイ」において参考にさせて頂いた全ての文献をご紹介します。 尚、引用した文章、一部特有の歴史的見解に関しては各解説ページの文末に該 ...
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